人は自分というものを知っているようで、本当は知らないのが実情だと思います。
自分はこういう人間だと思っていても、それは思い込みの部分もあるし、人から言われてそう思っている部分もあると思います。そこで必要なのは、本当の自分に気付いていくことだと思います。
私自身、社会に出て働き始めたころ、仕事は面白いし同僚に不満はなかったのに、毎朝、自分でもわかるくらい機嫌が悪かったのです。昼からは同僚とも楽しく話せるのに、朝はなかなか話が弾みませんでした。
親が初めて血圧計を買った時、ついでに私の血圧も測りました。なかなか測定できないのでおかしいなと思っていたら、物凄い低血圧だったのです。健康診断でも測定不能がたびたび出る位で、いつも看護師さんを困らせています。
ある時、低血圧は午前中は機嫌が悪いと新聞に載っていたので「そうだったのか!」と合点がいきました。
それがわかってから、午前中機嫌が悪いのは、仕事のせいでも同僚のせいでもないと思い、努めて朝から機嫌よくするようになりました。するといつの間にか朝から機嫌のよい自分になっていました。
低血圧でも、目覚ましが鳴ると朝はすぐに起きれるし、問題はありませんでした。
自分自身を知れば努力の方向も変わってきます。
自分の弱点を知れば、それを弱点のまま放置したり諦めたりせずに改善できます。自分の仕組みを知れば改善策も立てられやすいのです。
己を知るということは、自分を責めたり落ち込んだりするためではなく、そういう自分だとわかった上で活かすためのものでもあります。
先日、世界陸上の村竹ラシッド選手が、敗北直後のインタビューで「何が足りなかったのか」とつぶやいていました。自分としてはこの日のためにやれるだけのことはやってきたからこその言葉であったと思います。
普通なら「やれるだけのことはやったので、これが自分の実力でしょう」で終わっていたと思います。
しかし、彼はすぐに「何が足りなかったのか」と自省し、次の大会では3位以内に入ることを考えていたのです。
違う番組で彼は「今回、世界陸上に選ばれるなんて思っていなかったので出れるだけでうれしかった」と。
今まであまり陸上選手というのを意識せず、中学校、高校の先生、そして大学の先輩らに引っ張られてここまで来たので、メダルのこともあまり意識していなかったようです。しかし、実際に競技に参加してみて次はメダルを取りたいと思ったようです。
きっと彼の中では自省から再起動のスイッチが入ったのだと思います。5位に入って悔しくて泣いた自分を知ったからこそ、次はメダルと取りたい自分に気が付いたのだと思います。
本当の自分に気付くということは、人生の方向を見失わずに進めるということでもあると思います。
じゃ、また明日!