今更ながらですが「考える」ということをしてこなかった自分を顧みています。
小学校に入ってすぐはどのような勉強だったか覚えていませんが、高学年や中学校では、黒板の先生の板書をノートに写すことで勉強をしているような気になっていました。
しかし、今から思えば、それは単なる作業でしかなかったような気がします。そして、家に帰ってからの復讐といえば、授業中に汚い字で写して自分でも読めないくらいの文字を、ていねいに別のノートに書き写していただけでした。
いまから思えば「なんてこった!」としか言いようがありません。
一番大切な学生時代に「考える」ということを全くしていなかったのです。
その中でも、非常に早口でしゃべる先生がおられ、その口の速さ以上に板書が早く1時間中書いておられました。
そして黒板の端から端まで書くと、半分を消して新たに書くのです。そのスピードがあまりにも早く、ほとんどの学生は「あ~、待って!」と叫んでいました。私も追いついていなく、消されてしまったことがありました。
よってその先生の授業はいかに早く書けるようになるか、の授業でした。
その癖が付いてしまって、いまだに書こうとします。なぜなら、書いておれば後で見れば何を言っていたかが思い出されるからです。書いていなければ、何を言っていたか全く忘れてしまうのです。
しかし、いくら書く作業をしても、脳が理解していなければ、覚えているはずもなく、あまり効果のない時間となってしまいます。
そしてその悪い癖は大人になってからも、何か講座を聞いたり、習い事をしたりしても、受けるだけで「できたつもり」になってしまうのです。本当は理解できていないからできないのに、です。
いちばん自分でも損をしたなと思うのは、何事でも答え合わせをしようとすることです。
自分自身が考えて答えを出すのではなく、世間の価値観が正しいと思ってしまい、世間の価値観に合わせようとしていたことです。
それでは何時まで経っても自分の考えは育ちません。答え合わせをするのは自分自身とです。
人と違う答えを出すのが怖くて、他人の答えに合わせて安心する。
それでは何時までたっても自分の考えが出てきません。
自分で判断し、自分で選択することによって、自分の考えを育てることになり、自分の行動に責任が取れるようになるのです。
学生時代の分を取り戻すべく、死ぬまで考え続ける人でありたいです。
じゃ、また明日!