人は生れる前から自分の物語を描いて産まれてくるとか。
本当は自分が描いていた通りの人生を送ればしあわせなはずなのに、いつの間にか自分のストーリーも何もかも忘れ、自分で考えるということさえしなくなっていました。
親や先生からは、素直に言われたことに従うことが良いことだと言われ、逆らう子はダメな子だと。
集団生活ではみんなと合わせ、同じことをするのが正解なのだと。そこからはみ出ると、変わった子、わがままな子として見られ、特別視されてしまう。
しかし、先生や親の言うことを素直に聞いて、逆らわずにいい子で育ったはずが、社会人となった時、社会の中でどう生きていけばよいかわからなくなります。
会社に入れば「自分で考えろ!」と言われ、選択を迫られる。
その時、ふと思うのです。「自分は何をしてきたのだろう」と。
結局、何もしてこなかったのです。何かをする場がなかったのです。自分というものを、自分の持っている能力を発揮する機会がなかったのです。
よって、自分が持っている能力に気付く機会もなく、自分の眠っている能力をどう開花させるかも忘れてしまっている。或いは、自分の可能性に蓋をしてしまっている。
今、戦後教育を受けて人はそういう状態になっている人が多いのではないかと思います。
昔流行った「モーレツ社員」の背中を見ていた人は、あまり出世したがりません。
「夢は社長」という人もあまりいません。みんなの先頭に立って旗を振るのは望んでいないのです。
むしろ、脇役になったり、誰かのファンでいる方が良いのです。
「自分がやる!」「自分が主人公なる!」という人はほとんどいません。
それは、先輩や上司のようにはなりたくない!というのが強いのだと思います。
でも、それがあなたの望んでいた人生ですか?と。問いたくなります。
人と繋がる力をつけ「自分は主人公で自分の志したことを成し遂げるのだ!」と、言える人が何人いるのでしょう。
大小関わりなく、とにかく自分が思ったことを成し遂げようとするところに、その人の物語があるのだと思います。
私たちは一人ひとり、自分の可能性を持っています。それに自分が気付くことが大切だと思います。
そして自分の人生をどうするのかを考えることが、生まれる前から自分で描いていた自伝を活かすことだと思います。
昔の日本人は10代の頃からしっかりした自分の考えというものを持っていました。
今の日本人も持っているはずです。自分の能力は最終自分で開くしかないのです。
自分の可能性を信じ、自分の可能性を発揮して人生を終えるのがしあわせな人生だと思います。
じゃ、また明日!