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私たちは小さい時から何か欲しいものがあれば「あれ欲しい」「これ欲しい」とねだっていたようです。
そんな時、それぞれの子どもによって違いがあるようで、私の友達は何か新しいものが目につくと「あれ買って」といつもおねだりしていました。よってその子の家には小さなお人形があちこちに散らばっていました。

私は反対に本当に欲しいものがあればそれをねだるけれど、それ以外のものには目もくれませんでした。
よって、親はそれを知ってかクリスマスプレゼントに当時としては少し高級な大きなお人形をプレゼントしてくれました。それ以降、私は「あれ買って!」といった覚えはありません。むしろ親がデパートに行くたびに何か1つ買ってあげると言っても、いつも「いらない」と言っていました。

今から考えると、これは親の作戦勝ちかなと思います。なぜなら私のその友達は、どこかに行くたびに「あれ買って」「これ買って」で、結局はトータルすると私のプレゼントしてもらったお人形よりかなりの金額になっているからです。

これは大きくなってからもそのようなことがあるようで、洋服やバッグを買う時も、あれも欲しくなり、これも欲しくなり、ついつい買ってしまう人と、自分の気に入ったもの以外は目にも入らない人と。
習い事でもあれも習い、これも習いと、誰かが新しいものを始めると自分も始めなきゃあと、色々申し込んでしまう。方や反対に自分が習いたいと思うものが無ければいくら誘われても申し込まない人もいる。

講座類にしても、誰かが申し込むと、自分も申し込んでやってみる。しかし、自分が本当にやりたいと思った動機から選んでなければ、ただ「これも習いました」で終わってしまう。これは習う側からの視点だけれど、反対に教える側からすれば、「本当に求めている人には、どんどん与えていくけれど、自分が本当にやりたくて申し込んでなければ、求める熱意が違うので、そこまで与えない」と。

例え与えたとしても、そこまで消化吸収しないので、結局は辞めてしまうとか。
そうなると、教える側も受ける側も時間の無駄になってしまいます。

教える側が真剣であればある程、「もう来なくていい!」と、なるようです。
その言葉のなかには、「今、与えても消化吸収できないから、またその力が付いたら戻っておいで!」と、受け取ることもできます。

じゃ、また明日!

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jibunoikiru@gmail.com

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