「ない」から「ある」という変な現象ですが、これはヴェーダ瞑想でいうところの「陰」と「陽」の関係のようです。
人は「ない」もの、欠けているものに目が行きやすいです。
「自分にはお金がない」「時間がない」「愛される価値がない」「何かをやる能力がない」
「どうせ私は・・・」と、諦めの世界に入り込みます。
反対に「自分には価値がある」のだと、必要以上に競争して、戦って、孤立していく人もいます。しかし、本当に「ない」のでしょうか? もしかしたら、その「ない」と思っていた能力の裏には、必ずセットになって「ある」というものがあると思います。
ただ、どちらの比率が高いかと言えば、「ない」の方の思い込みの方が比率が高いと思います。
私の知り合いでお菓子をよく買う人は、いつも「お金がない」と嘆いています。しかし、私から見れば、お菓子をほどほどにしておいた方が、カラダのためにも良いのになと思います。
「時間がない」というのも、本当に「ない」のか、スマホを見ている時間を短縮すれば、時間が浮いて来るのか。
「愛される価値がない」と思っていても、遠くから誰かが見守ってくれているかもしれません。
「能力がない」と思っていても、自分ではまだ気付いていない能力が潜んでいる場合もあります。
これらはすべて自分が「ない」と思い込んでいるだけで、その裏にはちゃんと「ある」が隠れているのです。
なぜなら「ない」から「ある」方向へと向かおうとしているからです。
長所を追求すれば短所になり、短所を追求すれば長所になるのと同じように、「ない」を追求すれば「ある」が見えてくるのです。
夜空の星を見た時、星が「ある」と思えるのは、その奥に「何もない」と思っていた暗闇が「ある」から星がきれいにはっきりと見えるのです。その暗闇が無ければ、星はくっきりとは見えません。
なぜなら都会ではネオンの光が「ある」から暗闇が「ない」状態なのです。
でも郊外に行くとネオンが「ない」から、暗闇が「ある」のです。
「ない」と思っていた裏には「ある」がいつも隠れているのです。
これからは「ない」と思ったら、隠れている「ある」を探せば良いんだ!
じゃ、また明日!