「生」と「死」は裏表だと思います。
人は生れた瞬間からそれぞれに与えられた時間を1秒1秒刻んでいきます。
よって1秒1秒「生きる」ということは、1秒1秒「死に近づく」ということで、それが自分に与えられた持ち時間であり、自分が自由に使える時間だと思います。
肉体的には必ず終わりが来ます。いつしか影も形も無くなってしまいます。
しかし、自分の「想い」というものは残すことが出来ます。文章であったり音楽であったり、絵画や漫画であったり、映画であったり今ならYoutubeであったり。
それらは本人が居なくなっても、人々の心の中で生き続けることが出来ます。
人は必要以上に「死」というものを恐れますが、肉体が消えても魂のつながりは永遠だと思います。
私たちは文学作品の中でその著者と会話することが出来ます。或いは昔の映画の中でその監督の想いを受け取ることが出来ます。絵画にしても音楽にしても、時代を超え国を越えて、自由に自分が良いなと思う人から学ぶことが出来るのです。
そう思うと、自分がいなくなっても後世の人と交流が出来るということは素敵なことだと思います。国も時代も関係なく、ただ、良いものは良い!
芸術作品に限らず、我々は自分の能力を最大限に活かし、与えられたことを精一杯やりとげることが、「自分を生きる」ということになるのだと思います。
どんな事であったとしても、自分が「やりたい」「自分はこれが出来る」と思ったことを、自分が生きているうちに、自分が動けるうちに、悔いのないようにやり遂げることが出来たなら、それはしあわせな人生を送れたということではないでしょうか。
しかもそれが同じ志の人に受け継がれ、それがまた次の世代に受け継がれていく。それは燃え尽きた魂の継承だと思います。
人は完全燃焼できるのは、肉体が生きている間だけなのです。その間に、どれだけのことを乗り越えてやりきることが出来るのか。それが、その人の残り1秒の時に感じる悔いのない「しあわせ」だと思います。
じゃ、また明日!