私は小さい頃からどういう訳か「神様がいるとしたら、それは自分の中にいる」と思っていました。
なぜそう思ったかわかりませんが、ウチの家自体が仕事で忙しく、あまり神社やお寺にお参りに行かなかったからかもしれません。それに、あまりお願い事というのはしたことが無かったのです。裕福でも何でもなかったけれど、気持ち的には満足していたからかもしれません。
大人になると、お正月の神社へのお参りにしても「僅かなお金で自分の願いを神頼みするのは虫が良すぎる」とか云う考えの方もおり、人込みもあまり好きではなかったので、初詣にはほとんど行きませんでした。
ただ今は、神様にお願いごとをしに行くのではなく、感謝のお礼に行くものだと認識が変わりましたが・・・。
「ご縁」とかは信じますが、今でも「神様がいるとしたら、それは自分の中にいる」と、思っています。
2011年ブータンのワンチュク国王が日本訪問時、福島県の小学校の子供たちに「心の中に龍がいる」というお話をしました。これは、1人ひとりの心の中に「人格」という名の龍が存在し、経験を食べることで成長し、強くなっていくという教えだったのです。
これを聞いたとき、私の中で非常に腑に落ちました。私が「神」だと思っていたのは、「人格」という自分自身の龍のことだったのです。お正月に神社に出向いてお参りする「神様」ではなく、自分の中の「人格」という龍のことだったのです。
それは自分自身の生きるエネルギーであり、愛であり、命そのものだったのです。
しあわせを外に求めてお願いするのではなく、自分の内側の人格に問い続けるのです。
よって、自分は神そのものだと思っていたのだと思います。
瞑想をやり始めて、自分の内なる「神=龍」は、怒り、恐れ、不安があったとしても、この龍がいつも鎮めてくれていました。
そしてその龍はヴェーダ瞑想でいうところの「純粋意識」だったのです。すべては自分の意識の問題だったのです。
神=龍=自分 は、自分の人格のパートナーであり、共同創造者です。
小さい頃から何となく思っていたことは、こういうことだったのだと、今更ながら謎が解けました。
じゃ、また明日!