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少し前に「比較でしか自己肯定できない」と書いた覚えがありますが、比較をするなら、昨日の自分と比較するしかないと思います。

なぜなら、SNSの出現で情報格差もなくなりつつある今、良い学校に入って良い会社に入ってというそのブランド格差も無くなりつつあると思います。東大に入って国会議員や県知事や市長になっても、どれだけ国民の声を聴いて仕事をしているのか。むしろ個人レベルのことで問題を起こし、行政を止めているような感も否めません。
「やめろ!」コールも納得がいく部分もあります。

国や県や市のトップになるには人望も厚く、行政にも長けていたと思います。しかし現在のそれらの人達は、どう見ても国民・県民・市民から指示されているとは思えません。それらの方々は、自分以外の所に目が向いており、過ちを認められなくなっているのだ

と思います。

結局人望とは自分との闘いだと思います。他人と比較したり、学歴を比較したり、いくら比べてみても、自分のやるべき仕事が出来ていなければ、結局誰も味方にはなってくれません。むしろ今現在、頑張っておられる社長さんの中には、中学卒業から働いておられる方もいます。そしてその方たちは社長になって社員から慕われています。
「やめろ!」コールなど起こり得るはずもなく、社員から慕われています。

同じような年齢にも拘らず、一方は「やめろ!」コールが聞えており、もう片方は「社長! 社長!」と慕われています。それらの方たちは、外に目が向いているのではなく自分自身に目を向けて、いつも自分と戦っておられます。
結局は学歴の差ではなく、人間力の差だと思います。

そして、学歴社会や年功序列や企業間競争も都市間競争も、あまり関係なくなってきているようです。
そういうものでは自己肯定感は埋まらないというのがわかってきたのだと思います。

日本のスポーツ選手が強くなってきたのは、以前は順位にこだわり、金メダルを取れなければ故郷に錦を飾れないという風潮でしたが、それも自分以外の人との比較に於いて自分があるようなものでした。しかし、今は、自分の記録との闘いです。競争相手が誰であろうと、常に自分と戦い、昨日の自分より1mmでも成長していれば、それで満足であり、自己肯定感が培われると思います。

「これをやり切った!」「形として確認できた」と、自分が確認できれば、自己肯定感が高まるのだと思います。
そして自己肯定感を感じられるのは、やはり体験だと思います。
自分がやってみて、どう感じたのか。やりきる途中で何を感じたのか。
これら経験の1つ1つが、自分というものを確かめることにもなるのだと思います。

「誰かと比べる」ことで自信を失っていた時代から「誰かと繋がる」ことで安心感を得る時代へと変わってきたように思います。

じゃ、また明日!

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jibunoikiru@gmail.com

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