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もうすぐ、広島に原爆が落とされた8月6日、長崎に原爆が落とされた8月9日、今年80年になる終戦記念日の8月15日がやってきます。
戦後生まれの私たちの学生の頃は、8月頃になると本屋さんには特設コーナーが設けられ、戦争に関する色々な本が山積みされていました。小学校の夏休みの推薦図書は戦争に関するものも多かったように思います。
テレビでは戦争のドキュメンタリーやドラマなど、各局こぞって特別番組を放映していました。

よって戦争を知らない私でも、毎年そういうドラマを見て「戦争は絶対にしてはいけない!」と思ったものでした。
そして、親に「なんで、みんなで反対しなかったの!」と、その時代では反対出来るはずもない雰囲気をわかったうえで、詰め寄っていました。よって、私は絶対に戦争にはいきません。他人を殺すよりは、殺されたつもりで、全ての臓器を臓器移植に提供します。

よく、国を守るためだと言いますが、今現在の異常気象を見ていると、国を守るのではなく「地球を守る」時代です。日本でコメ不足になり、古古古米や外米でやっと落ち着いてきたかと思ったら、地域によれば期待の新米が雨不足で地割れして全滅だとか。夏はこれから40度以上がどんどん出てくるし、フランスでは今後10年以内には50度になる可能性もあるとか。

そう思えば、人類は今後「自国を守るために戦争するのか」「人類を守るために地球を守るのか」どちらの選択が正しいかわかりきっていると思います。

戦争は一部の所にお金が集まるだけで、多くの人の命が失われます。何の生産性もないものにどうして莫大な費用を使うのでしょう。1日1食しか食べられない子も現実にいる日本の中で。
唯一、被爆国である日本が、どうして核兵器反対の声を率先して揚げることが出来ないのでしょう。

昨年2024年、日本原水爆被爆者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞しました。当時92歳の日本被団協の田中代表は「核廃絶へ向け、おおきな運動が起きるきっかけになってほしい」と力悦されていました。しかし、日本は核兵器の開発や保有、使用などを禁止した「核兵器禁止条約」の締約国会議に参加していないだけでなく、「ノーベル平和賞を受賞してこのタイミングで、最低でもオブザーバー参加を」という声が高まっていたのに、政府は2025年3月3日から5日間の核兵器禁止条約の3回目の締約国会議へのオブザーバー参加を見送りました。

戦後80年たっても自立できない日本は、アジア諸国に取り残されて行きつつあります。
日本という国の自立は我々国民一人1人の意識だと思います。
赤い紙きれ1枚で戦争に行け!と言われても、私は行きません。
得体のしれない「お国のために」よりも、私は「自分のために」地球を守りたいです。

じゃ、また明日!

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jibunoikiru@gmail.com

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