chatGPTがどんどん進化している今、この進化のスピードに人間が追いついていかなければならない時代になってきたようです。昭和に育った私たちの年代では考えられないくらい、仕事でも家庭でも求められるレベルが上がってきたと思います。
会社で言われたことをきっちりこなしていればお給料を貰えた時代はとっくの昔に終わりました。
私たちの時代は企業のビジョンやパーパスやミッションなどは目標にはなく、一部の企業ではあったかもしれませんが、ほとんどの企業が高度成長期で「24時間働けますか?」と歌われながらも、がむしゃらに働いて生活を経済的に豊かにすることが目標であったような気がします。
しかし、日本がアジアのトップであるという意識の時代は終わったのです。
現在はアジアの中でも、経済的にも学力的にも低い位置になりました。
そこで求められるのは依存体質から脱却し、自ら自立して成長し、向上を望む体質です。
自分が属している企業のビジョンやパーパスが何で、自分自身の役割責任は何なのか。
組織の成果や自分の豊かさに繋がるには自分は何を成すべきか。このレベルが求められるようになってきました。
そのためには「できない」と思っていた自分で作った自分の壁や限界を、自分で超えていく必要があるのです。
そこには「できるのに、できないと思っていた」自分がいたりするのです。自分で自分の可能性に蓋をしてしまっているのです。
自分の可能性は「やってみないとわからない」のです。やらないうちから「できない」と決めつけるのも勿体ない話です。松下幸之助氏が「やってみなはれ」と言われていたのは、まさしく、やってできなかったという結果を出してから「できない」といいなはれ。ということだと思います。
できなかったという結果を出すことが重要で、それが次なるステップに繋がっていくからです。
失敗は失敗ではないのです。失敗があるから成功に近づくのです。よって、失敗の数を増やすことが成功の近道なのです。
それは座学の知識では得られないものです。何かを体験して身体や感情で体感して得るものです。これからは実践実務の力が必要になってくるのです。
例えば、人が倒れていてすぐ近くに「AED(自動体外式除細動機)」が見えていても、ただその人を心配しながら見ているだけなのか、一度でも触ったことがあるから使ってみるか。これで命が助かる可能性が十分にあるのです。
その倒れている人が自分の親や身内であれば、「触ったことがないから」と、じっと見てはいないと思います。何とか助けたくて使おうとすると思います。そして使ってみれば思ったより簡単だったと自信がつくのです。
私たちは一瞬一瞬「今ここ」にしか生きられないのです。よって、その一瞬のための力と智恵の体得が必要になってくると思います。
己が作った壁は、実践力の体得を重ねて、己で超えるしかないのです。
じゃ、また明日!