競争社会で育った年代は、人に勝つことを目標としていた所があります。小さい時から1番になることを求められ、それが当たり前に育ってきました。成績でもお稽古事でも何でも1番になれば褒めてもらえるし、ご褒美ももらえる。
それは自己を高めるためには1つの目的手段としては良いことだと思います。オリンピックで日本の選手が2位や3位なら悔しがるというのも、やはり1位を目指していたからだと思います。参加できただけでもうれしいという目標なら、そこまで自己記録はのびていなかっただろうと思います。
スポーツでも何でも「勝ったけれど、後味が悪い」という時があります。それは力で勝っても心が納得していなければ、自分では勝利したと認めていない状態だと思います。相手を倒しても、自分の中にはまだ相手に対する恐れや怒りが残っているかも知れません。よって、それがまた闘いの発信源になる可能性もあるのです。
よく武術系では「気を合わす」というのがあります。私は太極拳を習っていた時は、相手を「いなす」「受け流す」という感覚を学んだような気がします。
人間関係でも、ぶつかればこちらも痛いですが、受け流せばそんなにぶつかることはないのです。
相手を自分に従わせようとするから戦いが始まるのです。相手を受け入れ、自分も相手の中に入っていく。
それが「あわせる」ということではないかと思います。「受け止めて、流して、調和させる」
これが敵を作らない1つの方法ではないかと思います。
もしも敵がいるとすれば、それは相手を倒そうとする自分の我欲だと思います。
今、相手や国を攻めようと我欲にまみれた人たちが地球上に何人かいます。
日本人は調和の心です。大切にすべきはお金やモノではなく、地球そのものです。
これだけ地震が頻繁に起き、大型台風や洪水や山火事が毎年のように起こり始めています。
人類はここ数十年、地球からのSOSを無視し続けています。これも我欲だと思います。
自分の子どもたちや子孫のことを考えずに地球を壊していっています。
私たちが当たり前に吸っている空気も森や山の自然の力の恩恵です。
武道や、座禅や瞑想は呼吸を大切にします。
事実を見て、受け止めて、静かに呼吸する。
「呼吸」とは、内なる静けさへの入り口なのです。
自分の心が和すれば、戦いよりも命の大切さに気が付くと思います。
じゃ、また明日!