私は今の今まで「人はしあわせになるために生まれてきた」と思っていました。それは今でもそう思っているし、これからも思い続けていると思います。
しかし、しあわせと感じるのは不幸を感じたことがあるから、しあわせを感じることが出来るのだと思います。
不幸や嫌なことを感じたことがなければ、しあわせというものを感じることがなかったと思います。
失敗があるから成功があるように、結婚があるから離婚があるように。
昔、失恋をして悲しんでいる人を見て、恋愛をしたことのない私ともう一人が「一度で良いから失恋してみたい」と言っていたことを思い出しました。なぜなら、失恋をすると云うことはその前に恋愛を経験するからです。恋愛を経験したからこそ失恋を経験することが出来たのです。私ともう一人は結果的に失恋で終わっても、その前の恋愛を経験したいと言っていたものでした。
事業をしても、失敗をするからその経験を活かして成功へと歩むことが出来るのです。起業して最初からずーっと成功の連続というのは聞いたことがありません。結局は陰陽の両方を経験するから、陽のありがたさがを感じることが出来るのだと思います。
結局は酸いも甘いも両方経験するから、幅が広がるのだと思います。損得を経験するから、自分の価値観が育ってくるのだと思います。そう思うと、経験・体験というものはその人の視野・視座・視点を豊にしてくれるものだと思います。
そうなると、人は誰しもしあわせになるために生まれては来ていますが、そのしあわせを感じるためには、それを感じるための経験・体験が必要ではないかと思い始めました。
考えてみれば、私たちは生まれてから毎日が新しい経験・体験の連続です。転んだりぶつかったりしながら、だんだんと転ばなくなり、避けたりできるようになってきます。その体験があるから足腰が強くなって二足歩行が出来るようになるのです。
悲しい、辛い、苦しい時があったから、嬉しい・楽しい・楽な今を感じることが出来るのです。
自分の人生もゴールだけが自分の人生ではなく、生まれた時から今まですべてひっくるめて自分の人生です。
「山あり谷あり」「七転八起」「諸行無常」など、生まれた瞬間から最期に至るまでの経験すべてが、自分の人生なのです。
よって「何のために生まれてきたか」と問われれば、今は「体験するために生まれてきた」というのが、今の自分の答えかなと思います。
そして、それらの体験から学びを得たなら、生まれてきた意味があるのではないかと思います。
じゃ、また明日!