以前、「お断り:躾(しつけ)の全く出来てない騒々しいお子さんの入店は 他のお客様のご迷惑となりますので 固くお断り申し上げます。あるじ 敬白』というのがあったようで、これはもっと以前からもあったようです。
確かに、レストランに行ってもぎゃぁぎゃぁ騒いで走り回ったり、スーパーなどでも食品を触って押している子もいます。
それは子ども自体より、何も言わない親=大人、注意しない親=大人、見て見ぬふりをする親=大人が無責任だからだと思います。
ましてや、子どもが話しかけても無視して携帯に夢中になっている親=大人を見ると、その人も親からそのように扱われていたのかなと思ってしまいます。
私も一度、食品を押しまくっている5歳くらいの男の子に、少し離れていたので目でダメよ!と合図を送ると、大人顔負けの目で睨み返してきました。横にいる親は何も言いません。しかもその男の子は通り過ぎても、振り返って睨み続けてくれます。その根性にはあっぱれでしたが、大きくなると「俺に逆らうやつは殺してやる!」と言いそうな目でした。
大きな木を支えているのは根っこです。根っこの強さがその木を大きく育てるのだと思います。
土の中でしっかり根を張り、水分や栄養を吸い上げて地上の幹を育てます。
勿論、雨や風にも耐えていきます。台風や竜巻にも耐えていきます。反対に日照りが続いても地上の木や葉を支えています。
人間も小さい時からやってはいけないことや人に迷惑を掛けてはいけないなど、心の栄養分を吸収していく必要があると思います。それらが自分という1個の幹を作り上げていくのだと思います。
そんな時、誰からも心の栄養素を与えられていなければ、幹が空っぽな人間になっていきます。
日々の行動の積み重ねや、体験、経験が、嵐が来ても耐えうる幹が育つかどうかに関わってくると思います。
昔は近所の人や頑固じじいと言われる人が、何か悪いことをすれば怒ってくれたと思います。その時はうるさいと思っていても、それが大人になれば躾だったとわかります。
今は子どもに注意すると、「うちの子どもに何をする!」と、親が出てきだして下手に注意も出来なくなりました。
自分の躾ができていないということに気が付かず、ただ相手に文句を言うだけに終われば、その子はいつまでたっても、知らないままで終わってしまいます。
よって、子どもの頃から、しつけてくれる大人が必要だと思います。
昔のように、親を気にせず誰の子供でも、悪いことは悪いと言える社会であってほしいですね!
じゃ、また明日!