私たちはモノや労働力の対価としてお金を頂きます。しかし、同額のお金であってさえも、その時の想いや意味によって、変わる時があります。
例えば同じ金額の品物でも、ただ単に買うのと、好きな人のプレゼントとして買う時とは、時間のかけ方も違うと思います。オー・ヘンリーの短編小説「賢者の贈り物」ではないけれど、お金以上のしあわせがついてくる時もあります。
クリスマスの日、若夫婦がお互いに相手にプレゼントを買いたいと思いましたが、お金がありません。妻は夫の大切な時計の鎖を買うために、綺麗な長い髪の毛を売ってお金にし、プレゼントの鎖を買いました。夫は妻に自慢の髪に合う、櫛を買うために、大切な時計を売ってお金にしました。そしてお互い相手が喜ぶ顔を想像しながら家に帰ってくると、夫は妻の短くなった髪を見て驚きました。そして、櫛のプレゼントを渡しながら「君の美しい髪に合うと思い、時計を売って買ったんだ」と言いました。妻は時計の鎖を渡しながら「あなたの大切な時計に合うと思って、髪の毛を売って買いました」と。
結局二人のプレゼントは相手にとって必要がなくなってしまったけれど、それ以上に相手を想う気持ちの「しあわせ」という価値を与えてくれました。
プレゼントもお金ではないのです。相手を想うその気持ちがお金以上の価値を生み、しあわせな気持ちを与えてくれるのです。
同じ大金を使うとしても、超高級な車を買ってな大切な人をドライブに誘うのも良いかも知れません。
しかし、そのお金と同じ金額をどこかの施設に寄付をした場合、その施設を充実させ、その施設で色々なことを体験する機会がある場合、やはり人が変わるきっかけを与えてくれるのは、後者だと思います。
お金はその人の価値の提供でもあると思います。単なる金額とモノとの交換ではなく、自分の想いを乗せるからこそ、そこに感じる誇りと責任をもってやるので、金額以上の価値が出てくるのだと思います。
お金を活かすのも殺すのも、その人の想いで価値は変わってくると思います。
じゃ、また明日!