瞑想を始めてから、外に向いていた目が自分に向いてくるようになり、自分という一個の人間としての在り方を
より一層考えるようになりました。
しかし最近感じるのは、自分というものをどれだけ語れるのかなと思った時、薄っぺらい自分しかいなく、もっと質を高めて行きたいなと思うようになりました。
何を考えるにしても、浅い部分でしか考えておらず、深い部分で捉えないと自分の価値観というものがすぐにブレてしまうような気がしてきました。
なぜそう思うようになったかと言えば、多分それは目の前の目先のことだけでしか考えていないからだと思います。
素敵だなと思う方々は未来を踏まえた上での現在を語られます。
お金を価値基準にしている人は、何事に関しても「損か得か」で判断します。金額ではない部分でも、一緒にいて自分が得な時は寄ってくるけれど、その用が済めば音沙汰なしになってきます。或いは話を聞いてほしい時だけ寄ってくるけれど、うっぷんが晴れれば、それっきりです。
質の高い人は、目先の損得ではなく、未来に向かっています。そして仕事も人間関係も仲間も同じ未来を見据えて共感できる人と一緒にいます。それらの人は自分の意志で自分の人生を選択しているので、自然と繋がってくるのです。自分の会社のためだけではなく、社会とのつながりの中での自分のためです。それは自分のお金もうけのためではなく、自分が社会に何を貢献できるかのためです。
これは社会人でなくても、自分の人生の生き方としてやはり共通するものがあると思います。
人は定年退職して終わりではなく、或いは子育てが終わって一段落ではなく、最後の最期まで自分らしく生きるのが自分の役目だと思います。
よって、残る人生をどう生きるのかも、自分の生き方の中に入っています。
自分の「最期」という自分の未来に繋がる物語も、今よりも質を高めて終えることが出来ればと思います。
じゃ、また明日!