人は善か悪か、白か黒か、勝ちか負けか。とかくどちらかに決めたがるようです。
かくいう私も白黒人間でした。いつの頃からか「正しいか正しくないか」を決めなければならないという意識に束縛されていたような気がしました。
そしてその判断基準は学校の先生の言うことは正しいと。確かに先生の言うことは教科書に沿っているので正しいかもしれません。が、全てが正しいとも限らないし、知識以外の部分はその人の価値判断なので、正しいとか正しくないとかの領域ではないと思います。
今から思えば理不尽なことも正しいように押し付けられていました。小学校位なら反論などできるわけもなく、先生は正しいものだと信じていました。
しかし、「本質」とか「真理」とかを知るようになってからは、世の中には絶対的なものはなく、時代により価値観も変わるし、自分自身の考え方も変わってくるものだとわかってきました。
そして、答えは自分の外に求めるのではなく、自分の内側にある答えに気付くこと。
人の価値観ではなく、自分の価値観で世界は創られているということも、感じ始めました。
そうなると、自分の価値観を人に押し付けるのも、人から押し付けられるのにも違和感を覚えます。
自分で自分を認めるから、相手も認めることが出来るのです。
昔、白黒をつけたがっていた私ですが、白も黒もどっちもありなのです。
自分は白だと思っていても、白黒の二つ巴のマークのように、それがいつの間にか白が黒になり黒が白になっているのです。その入れ替わる瞬間の真ん中に自分があるのかもしれません。
自分という軸を持てば、世界が、もしかしたら宇宙が無限であるということも感じることができるのかもしれません。ブレない自分、でも進化し続ける自分。誰にも何ににも拘束されない自分。純粋意識の自分。
それが一番自由でしあわせな自分なのかもしれません。
じゃ、また明日!