最近の色々なニュースの中にも、第三者委員会の結論と当事者の話が食い違っていることがあります。
例えばいじめ問題でも第三者委員会の結論と学校しかり、兵庫県知事しかり、芸能界しかり。
得てしてどの情報を信じればよいかわからなくなります。
しかし、「情報」と「真実」は似て非なるものだと言われます。
最近の傾向を見ていると、今まであまりYOUTUBEなど見たことがない人がYOUTUBEを見始めて、偏った考えに進んで行っているのを見ると、その影響力に恐ろしさを感じます。
画面の向こうで声高々に言っている人を信じてしまうのです。その根拠を聞くと「わからない」
また、兵庫県知事の斎藤氏を推す人に聞くと「あの人の顔は悪そうに見えないから」
逆に言うと、いかつい顔をしている人であれば、悪くなくても「あの人の顔は悪そうだから」と、犯人にされてしまうのでしょうか。
物事の判断で「あの人が言っているから」を基準にするのは一番恐ろしいことで、巧妙なウソほど、正義の仮面をかぶっているといわれるほど、どんどん、巻き込まれていくのです。
大切なのは、誰かの正しさではなく、自分が感じる自分の正しさです。
それは知識ではなく、日々の経験、体験から学んでいくことだと思います。
その積み重ねが「自分軸」となり、自分の「内なる羅針盤」になるのだと思います。
確かな「自分軸」を作るためには、自分独りでは偏る可能性があるので、未来を信じることのできる誰かと共にいる方が議論しあえて共に成長できる可能性があると思います。
自分の考えなしに、人の言うこと、しかも声の大きい人ほどえらいと勘違いして言っていることを信じてしまうのは、本当に自分を生きていることになるのかどうか。
人から見て頼りない考えでも、自分で考えて出した答えの方がその人にとっての「真実」だと思います。
「情熱」とは、「ともに未来を信じあえる熱量」だとか。
私たちは未来に向かって生きています。だから今という現在が大切なのです。
未来を信じ、仲間を信じ、自分の足で歩いていく情熱があれば、どんな時代でも生きていくことは可能だし、それが「自分を生きる」ということだと思います。
じゃ、また明日!