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私たちはどうしても「こだわり」や「とらわれ」を身に纏っています。
「こうしなければならない」「ああしなければならない」「そうであるべき」など、
自分で自分を縛り、苦しんでいます。
では、その根拠は何かといわれれば、はっきりとした説明ができるものは無いのです。
ただ、自分がそうしなければならないと思っているだけです。
最近も知り合いの娘さんが、お母さまの納骨の事で悩んでおられました。
早くした方が良いと思うけど、もう少し置いておきたい気もするし、
いつまでも置いておくのもどうかと思うし・・・。
で「ご自身はどうしたいのですか?」と聞くと、
「そろそろ納骨したい」と。
最初からそれが望むことだったのだと思います。
しかし、何に拘っていたのか、なかなか決断を下さずズルズル伸ばしていたのです。
近所に高校があります。
買い物に行くとき、帰宅途中の高校生の集団と並行して歩く時があります。
何とはなしに会話が耳に入っているので聞いていると、
友達のいう事をすべて否定して上から目線で話している子がいます。
否定された子は「じゃぁ、お前だったらどうするの?」と聞き返すと、
むにゃむにゃと答えが返ってきません。
横で聞いていると、話している子はまともな事を言っているようです。
そこでもう一人、加わって話をしている子と同じ考えだと言うと、
否定している子は「俺もそう思っていたけど・・・。」
彼は何に拘って否定しているのだろうと思ってしまいました。
こういう場面でいつも感じることは、何かに拘っている子はいつもイライラした口調です。
自分を受け入れられない、相手を受け入れられないという事の中に、
何らかの「とらわれ」や「こだわり」が自身の中にあり、それが自分を束縛しているのかも知れません。
「こだわり」や「とらわれ」が無くなったら、非常に心が軽くなります。
気持ちが楽になります。
「こだわり」や「とらわれ」は執着でもあります。
その執着は、小さい時から植え付けられた価値観から来るものかも知れません。
そうであるならば、自分にとっては根拠のない執着かも知れません。
一度、自分も相手も受け容れて現実を受け止め、否定ではなく肯定で受け止めれば、
その執着は手放すことが出来るかも知れませんね。
自分が苦しまないためにも、自分が楽に生きるためにも、
全てを受け入れて執着を手放すのも1つの方法だと思います。
じゃ、また明日!