• 2523枚目■ 生きているのに死んでいる

    私たちは誰もが「自分は生きている」とわかっていると思います。しかし、「生きている」とは何を指すのでしょうかか。息をして、ご飯を食べて、寝る事?それじゃ動物とどう違うのでしょう。

    最近「失われた日本」とか「日本が無くなって行く」とか、「昔の日本はどこへ行った」とか聞くことが多くなりました。私も、戦後復興していく日本のなかで右肩上がりに発展していく日本のなかで育ちました。

    国民一丸となって、貧しい生活から抜け出し、より良い生活が出来るようにと頑張ってきました。
    しかし、モノが豊になり、自由に言いたいことが言えるようになり、権利を主張できるようになりました。
    それは一見、豊かなしあわせな生活のように見えました。

    権利の裏には義務があります。それはセットであるものです。もしかしたら、権利を勝ち取ることに夢中になり、その裏にある義務を怠ってきたのではないかと思います。義務を忘れ、義務をなかったことのようにして自分を主張してきたのではないかと思います。

    義務を怠った分、人間のカタチはしているけれど、中身はもぬけの殻のようです。戦後教育では、みんな同じにしなければならず、そこからはみ出ると注意されます。よって、そこで生まれた価値観は、「皆と同じようにする」ことでした。自分の意見を持つことなく、「右へ倣え」が上手く生きるすべでした。

    その結果、自分の世界だけに生きて、他人は他人。みんなで同じ目標を持つことも無くなりました。
    肉体は生きているものの、精神的な活動や社会との繋がりが失われてしまいました。
    「生きている」ということは、「生きる意味」や「自分の存在価値」を見出すことであったり、「自分の目標」を見つけ、「使命」に命を懸ける生き方だと思います。

    自分のやっていることや自分の仕事が社会との繋がりを感じ、そこに自分の存在価値を自分で感じる事が出来る。
    それが「自分を生きる」ことになるのではないかと思います。
    自分が必死で守りたいものは何なのか、自分が必死で守りたい人は誰なのか。にもかかわらず、自分が一番守りたい自分の子どもを虐待する親もいます。

    昔は10代のころからしかりしており、20代で自分の志にまっしぐらの人もいました。
    今はSNSで情報を見ているだけで「生きている」気になり、本当の意味では「生きている」のではなく、「死んでいる」のです。

    段々と少なくなってきつつありますが、毎年終戦記念日になると、当時戦争に行って命を落とした若者の写真やドラマを見ることがあります。ほとんどが10代や20代前半の若者です。どの人も本音では戦争などに行きたくはなかったと思います。それを「お国のため」とかなんとかで強制的に行かされたのです。そして、彼らは後世の我々のために命を懸けて戦ってくれたのです。彼らは命を落としているのに、その命は我々のなかで生きているのです。彼らの命は今生きている私たちの命を繋ぐために落としに行ってくれたのです。

    今、その命を繋いで生きている私たちは、どのくらい後世の人のために生きているのでしょうか。
    自分のためだけに生きてはいないでしょうか。
    それぞれが目標を持ち、社会とのかかわりの中で自分の存在価値を見出すことが「生きている」ということになるのではないでしょうか。

    じゃ、また明日!

投稿者

jibunoikiru@gmail.com