• 2400枚目■ しあわせは学ぶものだった

    私たちは、しあわせは願うもの、向こうからやってくるもの、与えてもらうものなど、勝手に思っています。
    しかし、本当は自分が学ぶものだったようです。
    自分にとってのしあわせの源を見つけることが大事だったようです。

    自分にとってのしあわせは、自分だけが満足しても、それは一時的な自己満足のようなものであって、決して自分がしあわせだと感じることはできないと思います。
    なせなら、しあわせは誰かと繋がっているからこそ、自分はしあわせなのだと感じることが出来るからです。

    例えば、見えるものより見えないものを与える方が難しいです。何かプレゼントを買ってきて「はい、これ」って渡すより、抽象的な間接的なもので相手を喜ばす方が、よりしあわせを与えることが出来ると思います。
    無償の愛や、微笑みや、寄り添った時間なども、自分がしあわせを感じることが出来ます。

    或いは、同じ方向を向いて歩んでいる時に、何かアクシデントに出会った場合、互いに支えることで心の痛みを軽減することもできます。よってそのことで相手に対する信頼を積み重ねることが、しあわせだと感じることもあります。

    これらは相手がいるから、感じることが出来るしあわせです。相手がいるから成長し、学ぶしあわせです。
    その成長は、誰かのために自分が変わろうとすることで得られる成長だと思います。
    人とのつながりは、ほとんどが仕事を通じてだと思います。
    よって、仕事を全力でやることが誰かのしあわせに繋がっていくのだと思います。

    よく例に出される、イソップ寓話の「3人のレンガ職人」の話。その3人目の職人が言っているしあわせとは、
    「レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っているんだ。こんな仕事に就けてとても光栄だよ」と。
    これが仕事を通じて、学んだ幸せだと思います。

    私たちは、行動して、感じて、学んでいく過程で、しあわせが育っていくのだと思います。
    「しあわせは、いつも足元にある」のです。

    そのしあわせを、自分が味わうかどうかは、自分次第なのです。
    決して願うものでも、向こうからやってくるものでも、与えてもらうものでもなかったのです。

    じゃ、また明日!、

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jibunoikiru@gmail.com