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私達はちょっとした言葉で元氣を取り戻すことがあります。
それはきっと、その人の必要な時に必要な言葉が掛けられた時だと思います。
少し沈みがちな人が話し終えると元氣になったり、「頑張る」と言ってくれる時は、
いつも、その人を肯定している時です。
その人が何かをしたいとか、やろうとしている時は、私はいつも肯定しかできません。
なぜなら、やってみないとわからないからです。
よく親が子供に「危ないから止めなさい」とか「どうせ上手くいかないから止めなさい」とか
否定的な言葉をかけますが、それはその時の子供の芽を摘んでいるような気がしてなりません。
親はケガをしてはいけないから、失敗してはいけないから、と先回りをして止めますが、
失敗も経験の内です。
その失敗があるから、二度と同じ事はしないだろうし、努力をすれば上手くいくかも知れません。
子どもは親の所有物ではないし、子どもは子どもなりの経験を積み、
自分の人生を歩んで行くと思うのです。
他人にしても、失敗するかも知れない時はあると思います。
しかし、それもその人の大切な経験という宝物です。
その宝物になるかもしれないチャンスを、止める必要はないのです。
もしも、想像通り失敗して本人が落ち込んだ時があっても、
そういう時こそ傍にいて落ち込んだ気持ちに共感すればいいのです。
今まで私が覚えている中では肯定してその人がやった結果、失敗したことはありません。
確かに心配な時はあります。
しかし、じっと見ていると結局はやりたいと言ったこと、こうしたいと言ったことが
正解になっています。
その人の判断と自分の判断は違うのです。
よって、本人が思うようにするのが一番だと思っているので、肯定しか出来ないのです。
例え落ち込んでいたとしても、自分がどうしたいかを確認して肯定すれば、
ほとんどの人は元氣を取り戻します。
元氣=その人の元の氣に戻るからです
それが本来の姿です。
その人を肯定することによって、その人は自分で自分の元の氣に戻せるのです。
否定はする必要がないか、しても最後の最後で本当にこれをしては命にかかわる
という時に言えばいいことだと思います。
自分では何気なく言った言葉が後に「あの言葉が後押ししてくれた」と言われる時があります。
その時は後押ししようと思って行ったわけではなく、
「そう思うんだったら、そうすればいいんじゃないの」程度の言葉です。
私自身も考えてみれば「そうすればいいんじゃないの」と言われた時に
肩の力が抜けた覚えがあります。
たった一言が、自分を後押ししてくれて元氣を取り戻すのだと、
改めて感じたものです。
じゃ、また明日!