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教育について検索していると「教育の本質は哲学である。そして、教育は文化である」
という文章を目にしました。
私を含めて、自分で考えることが出来ない人が多いです。
会社で言うと、目の前の事しかできない。言われたことしかできない。
これは学校で「教えられる」ことに慣れてしまい、
自分から進んで「学ぶ」ということを教えられてこなかったからです。
それに気が付き、2020年教育改革とやらが始まったようですが、
いきなりコロナになり、実質的には発揮されていないようです。
それどころかリモートでの授業になり、先生方はそれで精一杯のようです。
教育とは字のごとく、教えて育てるという事ですが、
教えることだけで終わってしまい、育てることが忘れ去られたのです。
そして孤立した子供たちはSNSやメディアからの情報により、
何が正しいのかわからなくなってきているのです。
育てるという事は、その子が1個の人間として自立して生きて行けるようになる、
という事だと思います。
その為には自分で考えて答えを出す環境が必要だと思います。
よって難解な問題を解くことよりも、先ずは知識を具体的なものと結びつけ、
問題を解決できる力を養うことだと思います。
確かに難解な問題を解けるのも大切な事かも知れませんが、
何事もそつなくササっと回答を出して成功したように見えるタイプよりは、
それをやる意味を考え、時には立ち止まって考えるタイプの方が、
本当の意味で成功に繋がると思います。
今回のオリンピックでの弁当大量廃棄は1日数千食分だとか。
コロナ禍で上京してきた学生がアルバイトに入れず、1日1食にしている人もいます。
よって、商店街の人が持ち出しで毎日お弁当を作り、無料で配っている所もあります。
或いは子供食堂で密になるからと閉鎖せざるを得ず、お弁当を配っている所もありました。
しかし、金銭的に限界が来ているからいつまで続けられるかと、案じていた人もいました。
炊き出し支援の教会が国立競技場まで引き取りに行ける導線を作ることを訴える
署名運動も出て来ているようです。
巷の井戸端会議でさえ、なぜこの日本で満足に食べられない人がいるのに平気で捨てられるのか!
と話題になっているのに、なぜ学歴のある偉い人が防げなかったのでしょうか。
ボランティアのキャンセルはかなり前からわかっていました。
その時点から発注数の変更は考えられたと思います。
しかし、JOCは「弁当の発注数は当初の数から変更なし」です。
観客を入れるか無観客にするのか、考える人はボランティアのお弁当の数など眼中にありません。
目の前の事しかできない、言われたことしかできないということがこういう結果になるのです。
一生懸命農作物を作った人やお弁当を作った人、それを早朝からトラックで運んでいる人。
それらの人々がテレビニュースで大量にトラックで運ばれたお弁当がケースごと捨てられるのを見て、
虚しくなるという事に気が及ばなかったのでしょうか。
結局は自分達のお給料に関係ないし、税金だから何も感じずにやれてしまうのだと思います。
これが知識を詰め込んだ教育の結果だと思います。
ここ1~2年、日本はどれだけのムダの積み重ねをしてきたのでしょうか。
2016年から議論してきた食品ロスの計量はどこへ行ったのでしょうか。
総て考えれば事前に何とか防げたことだと思います。
自分が汗水たらして真剣に生きるという事を学んでこなかったツケだと思います。
そしてそのツケは指示した人間にではなく、後世の人間に負わされるのです。
教育とは何なのか、立ち止まって考える時期に来ていると思います。
じゃ、また明日!