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今日、ある方のお話の中で気付かされたことがありました。
何かの目的で集まったり、複数人が集まって話をする時、
自己紹介や近況報告をする場合があります。
その前提として、人は自分の事しか興味が無く、他人の近況報告にはあまり興味がないとか。
確かに、仲間内だったら、あの話どうなったのかなと興味はありますが、
そこまで親しくない場合は「そうですか、よかったですね」で終わってしまいます。
私もよく自分のことを話しています。
それは「以前はこうでしたが、今はこうなりました」と言ったような近況報告です。
自分としては良くなったから、話したいと思って話しても、
聴かされている人にとっては、それが自分のことの何かのヒントになったり、
改善に役立つ話だったら、それなりの価値はあると思います。
しかし、相手に何も感じることを提供できなければ、ただの世間話になってしまいます。
そしてそれがただの近況報告だけはなく、その裏には無意識で「よくやったね!」と、
言って欲しい心理が働いている場合、それは自分がgiveしているのではなく、
自分がtakeを求ていることになる、と。
確かに私自身、takeの心理が働いていたかも知れません。
たかが小話、されど小話。
たった10分の話の中で、如何に相手に感じさすものをgiveすることができるのか。
「話を聴いてよかった」「なるほどそういうことだったのか」「気付きを与えて貰った」
など、何か聞き手に与えるものがある話をしないと、
その10分は勿体ない10分になるという事です。
話をする時にも目的はあります。
「今日は何について話そうかな」とか「今日は何を伝えようかな」と。
それを考える時は、自分が話すテーマを考える機会を与えて貰っているのだと思います。
そしてそれを話す時は、相手に何か感じてもらうというgiveをもたらします。
家族や友達同士の話でない時は、
目的を持った話や相手に役に立つ話が出来れば最高だと思います。
今まであまりそういうことを考えずに話していましたが、
大切な「時間」というものを考えた場合、
たかが10分でも、その人にとっては大きなgiveになる可能性もあります。
意識して話すのか、ただ何となく話すのか。
これがgiveになったりtakeになったりの違いになるのだと思いました。
小話1つとっても、たった10分をとっても、
そこに命を吹き込める人間になりたいと思います。
じゃ、また明日!