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「馬を水飲み場に連れて行くことは出来ても、馬に水を飲ませることはできない」
よく耳にする言葉なので、日本の諺かなと思っていたのですがイギリスの諺でした。
馬を水飲み場に連れて行くことは、誰でもできます。
手綱を引いて水飲み場に連れて行けばいいのですから。
しかし、出来る事はそこまでです。
目の前の水を飲むのは馬自身ですから、飲みたければ飲むだろうし、
飲みたくなければ飲みません。
それを強引に飲ませようとすれば、今度は水を飲むことに恐怖心を抱いてしまいます。
物理的、技術的に馬を水飲み場に連れて行くのは「技術的問題」なので、
個々人に差があったとしても、誰でもが慣れてできるようになると思います。
しかし、馬自身が水を飲む、飲みたくなるという馬の意識を変えるのは、
「適応課題」と言って、技術的な事ではないので難しいのです。
これが人の場合、自分自身が変わることを求められるので、
自分の意識や価値観を変えることになります。
要は、自己変革をすることになります。
お水は飲んだ方が良いからと、人から無理やりにでも飲まされたら、
飲みたくない意識の方が強くなり、お水が恐怖となってしまいます。
本人にその気がない限りは、人は変わらないのです。
私がいつも止まってしまうのはここの部分です。
同じ事でも人から言われれば「変えなければ」と思ってしまいます。
そして「ねばならない」にがんじがらめになってしまいます。
しかし、自分を育てるのも自分です。
「変えなければ」を「変えたい」に変えるのです。
その為に必要となってくるのが、その目的だと思います。
白の自分になりたいのか、黒の自分になりたいのか。
自分の中の葛藤です。
競馬界のスーパースターである武豊騎手は、
能力の低い馬でも、その馬の能力を最大限に引き出して優勝します。
馬はゴール迄の距離感やペース配分はわからないし、
そもそも勝ちたいという欲求が無いので、騎手という仕事は難しいのだとか。
よって、目やしぐさ、動きから
「今、どういう気持ちでいるのか、どんな精神状態なのかをわかってあげよう」
と努めるそうです。
それぞれに全く違う一馬一馬と向き合い、
馬を気持ちよく走らせることを、何よりも大切にされているようです。
これは、人を育てる時にも通用すると思います。
「相手を尊重する」ということだと思います。
自分を育てる時は「自分を尊重する」という事に繋がると思います。
白の自分がもう一人の黒の自分と向き合う時、もう一人の自分を尊重し、
純粋な気持ちを引き出すことが大切になってくると思います。
そして、出来なかった自分が少しでも出来れば、自分で褒めてあげればいいのです。
褒めて自信が付けば、少しだけハードルを上げて行けばいいのです。
最初から完璧を目指すから、何もできなくなるのです。
自分の中の白と黒も100: 0ではなく、90:10であったり、70:30であったりと、
自信を付けるごとに変化していきます。
そしていつの間にか、白と黒が入れ替わっている時が訪れるのです。
その時が、馬が自ら水を飲む時だと思います。
騎手である自分が馬の自分をどのように導くか、自分の純粋意識に聞いてみたいと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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