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「有名無力 無名有力」この言葉の意味は、
「有名になればなれるほど力を発揮しずらくなるが、
無名であれば陰から力を発揮し続けることができる」です。
日本の政治をサポートし続けた、安岡正篤氏が
「有名無力 無名有力」の言葉の教えを守り続けておられたようです。
それは、大衆の前に出ない事で無名を貫く事ができ、無名であるからこそ、
大衆の意見に縛られることなく自由に政治家たちに働きかけて、
裏で政治を動かすことができたからです。
有名になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出たりして忙しくなってくると、
いつの間にか、自分を掘り下げる時間が無くなって、有名ではあるけれども、
無力な人間に成り下がることが多いようです。
しかし、世の中には新聞・雑誌に名前が載るわけではないけれど、尊敬する生き方をしている人もいます。
無名だけれども有力な生き方をしている。
安岡正篤氏は、古代中国の思想家である老子と荘氏の思想の合体版=老荘思想に着目していたとか。
彼らは人前に出ることは無かったので、自らの思想を政治に使う機会はありませんでした。
しかし、自身の思想をそのまま自分の姿勢や生き方に反映していたので、
自分の生き方をもって「有名無力 無名有力」の素晴らしさを伝えたのです。
そしてその生き方は、彼を心から尊敬していた周囲の人によって受け継がれ、今も残っているのです。
「人に貢献する仕事がしたい」と思っていても、どこかに人から褒められたい、
認められたいという感情を優先させてしまいます。
欲望は終わりのない事です。
その制限を付けるのは、自分自身しかいないのです。
味わいのある人とは「素・朴・愚・拙」の人のようです。
素:何も身に付けないよさ。枯れ木は見栄こそないが、力強い。
朴:泥臭さ。限界状況で情を見せるのは、どこか朴訥な田舎っぽい所のある人間だとか。
愚:アホになれるから、皆がこの人のためにと思う。馬鹿こそ力。
拙:話がへたくそな人間は魅力的だとか。
口下手だがなぜか魅力的で味わい深い話をする人がいます。
こういう人は、無名有力な人です。
大事なことは、力があってもムダに誇示せず、
その力を理解してくれる人が数人いればいい。
ということです。
それは何にも縛られず、自由に生きられるという事でもあるのです。
じゃ、また明日!