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現代アートとか現代音楽とかは、分かりにくいものとして思いがちです。
何故なら、人は見たことのないもの、未知のもの、知らない事に向き合うのが苦手だからです。
よって「わからない」で片付けてしまいます。
しかし「わからないもの」は、色々自分に問いかけてくれているのです。
自分がそれをどう捉え、どう考え、どう見るのか。
強いては自分はどういう人生を生きたいのか。
自分はどういう人とかかわりたいのか。
もしかしたら「わからないもの」は、
人間の持っている、豊かな感受性、幅広さ、可能性を開花させてくれるものかも知れません。
芸術の評価というのは、数値によるものではないと思います。
書籍にしても同じです。
売れたから良い本とは限らなく、売れる冊数が少ないから良くない本とは言えないのです。
映画も、演劇もしかりです。
数値ではなく、どれだけ人の心に響くものを提供できたかによると思います。
1人でもそれを必要と感じる人がいれば、それはその人のために存在する価値はあると思います。
私たちの日常会話の中でも、何気なく言った言葉がその人を救う場合もあります。
何気なく行った行動がその人達に刺激を与える場合もあります。
自分の言動が、如何に人の心に響くものを提供できたかどうか。
そこに価値があると思います。
キンコンの西野亮廣さんの言葉が私の中で響きました。
「自分はいつか死ぬけれど、良い作品であればいつまでも残っている。
残る作品を作ることが出来たなら、いつまでもその作品は人の心に残って行く。
自分はそういう作品をつくれたらそれでいい」
と、このような事を言われていましたが、
それはアーチストの方は皆そう思っているのではないでしょうか。
そして、アーチストに限らず、ビジネスの神様と言われた方々の言葉も、
今現在でも生きた言葉として、人々の心に響いています。
人は誰でも自分以外の人の心に響く言葉を持っています。
たった一言で、命を救ったり、
たった一言で、奮い立たせたり。
そういう、人に必要とされる言葉を自分の中で育てられたらと思います。
じゃ、また明日!