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コロナ禍は時として、地球の扱い方を問うているような気がします。
人類に対し、地球の全ての自然や生き物を今までのように扱って良いのかどうか。
この先、子孫にどれだけの物や事を残して行こうとしているのかと。
此処いらで、人間はもっと謙虚になるべきだと、言われているような気がします。
人間のおごり高ぶった行動が、今まさしく自然災害として、返ってきていると思います。
人間が子孫に伝えるのは、お金儲けの方法でしょうか?
色々な理論武装でしょうか?
何を伝えて行けばいいのでしょう。
お坊さんというのは、檀家の方に仏法上のお説教をしたり、相談に乗ったりしています。
それがお坊さんお仕事でもあるのです。
あるお寺の和尚さんは、修行時代に一度もお経を読んだこともなく、
檀家の人達にお説教もしたことがありません。
ただただ毎日野菜を作り続け、村人に配って歩いていたそうです。
その師匠である和尚さんは、弟子のその姿に何も言わず、ただ温かい目で見守っていたようです。
弟子は、自分の生きざまは、ただひたすら野菜を作り続ける事であり、
それを村人たちに喜んで食べてもらう事である、と思い定めていたようです。
現在のそのお寺の和尚さんは、不登校の子供を抱えた父親から不登校を何とか直してほしいと相談を受けました。
しかし、和尚さんは
「私にはそれを解決する力はありません。
ただ、毎日早朝に座禅を組んでいるので、それに参加して、何か一緒に考えることは構いませんよ」
と答えました。
そのお父さんは不登校の子供を連れて、毎日車でお寺に通いました。
すると、半年ほどたった時、お父さんは和尚に言いました。
「毎日車で2時間ほど送り迎えの時に、息子と話をするようになりました。
その結果、息子の不登校問題は解決し、明るい子供になりました。ありがとうございました」と。
「私には力がないから、そのような事は出来ません」と言った和尚の謙虚さ、温かさというものは、
どんな美辞麗句を並べ立てても、論理的に素晴らしい事を言ったとしても、
それに行動が伴っていなければ通じません。
全てはその人の実践的行動で判断されるようです。
私たちは今、目の前に自分がやるべきことを楽しくやっているかどうか。
自分たちがやっていることを後輩が見て、真似をしたいと思うかどうか。
私は謙虚ではなく、本当に力がないから伝えられることは出来ませんが、
昔の和尚のように、何かを毎日作り続けて人々に配り歩けば、
それも自分の生きざまになるのかも知れないと、ふと思いました。
地球が温かく人類を見守ってくれていたように、
自分は地球に応えるために、何ができるのだろうか。
これもコロナ禍の宿題のような気がします。
じゃ、また明日!