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人は落ち込んだり鬱になったりした時に「自分は生きる価値があるのだろうか」と悩みます。
どんな人も生まれた限りには価値があると思います。
価値があるから生まれてきたのです。
赤ちゃんは何もできません。
自分で、オムツを替えることも、ミルクを作ることも、喋ることも何もできません。
しかし、赤ちゃんの笑顔は、周りを癒してくれます。
赤ちゃんにできることは笑顔しかありません。
その笑顔は周りに与える影響が大きく、見ているだけで幸せにしてくれます。
それだけでも十分生きる価値があります。
2016年7月27日、相模原障害者施設で19人が殺害された事件が発生しました。
被告人は、元同園職員の植松聖(さとし)(30)です。
横浜地裁は2020年3月16日、死刑判決を下しました。
自分が働いている施設の利用者を19人も殺害するニュースに、驚きしかありませんでした。
それ以上に植松被告の言葉に衝撃を受けました。
「障害者はいなくなった方がいい」「障害者は不幸を作ることしかできない」
「意志の疎通が取れないような重い障害者は、安楽死させたほうが良い。彼らは人々を不幸にするだけだから」
この発想は「生産性のない人間は生きる価値がない」という発想に通じると思います。
果たしてそうでしょうか?
上記「津久井やまゆり園」でも、娘さんや息子さんを生きがいに頑張っておられたご家族がおられます。
決して人々を不幸にするだけではありません。
重度心身障害者を持たれる親御さんは「たった一言、お母さんと呼んでくれたら、苦労は報われます」と言われています。
たった一言がご家族を幸せにする価値があるのです。
それを他人が勝手に「生きる価値がない」と言っているだけのことです。
2018年12月に公開された映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」
これは筋ジストロフィー障害者で2002年に42歳で亡くなられた鹿野さんの生きざまを映画化したものです。
手足が動かない、寝返りも打てない、すべてのことが出来ない鹿野さんがボランティアを通じて「できない」ことを「できる」に転換しているお話です。
一見我儘に見える鹿野さんがボランティアとの関係の中で、自分の全ての強い面も弱い面も、ずるい面も醜い面も人目にさらすことによってでしか生きていけないことを、わかっていたからではないでしょうか。
ボランティアの人も、周りに嫌われようが憎まれようが、何としてでも生き抜いてやるという鹿野さんの人間性に鍛えられ、成長していく中で、自らの生き方に大きな影響を受けていくので、離れなかったのだと思います。
結局は、助けていたつもりが、助けられていたのです。
人は誰でも、生まれた限りは価値があると思います。
それを他人が見てどうこう言うだけのことであって、
自分がどうかかわりあうかによって、その価値を知らずに過ぎていくだけではないでしょうか。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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