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人は自分のことしか考えずにやっているとうまくいかなく、人のためにやっているとうまくいく、と言われます。
何故なら、人の役に立つことは自分の心に安定をもたらすからです。
昔の人はよく言われていました。「世のため、人のため」と。
しかし、本当のところ人間は自分が一番可愛く「自分が、自分が」という面も持っています。
私自身そうでしたが、人のためと思ってやっていても、結局はそうしている自分が心地よくてやっていた所もあったようです。
つまり、自分の為にやっていることが、結果として人の役に立っていたということなのです。
それは「人のため」と「自分のため」が背中合わせに同時に存在するものだったのです。
そうであったとしても、結果的に「人のため」=「自分のため」が、自分の力を引き出すきっかけにもなっているのです。
何故なら「人のため」と思って働きかけたことが、その人との繋がりとして自分に返ってきます。
「こうすれば喜んでくれるかな」とか「これはやろうとしている仕事のヒントになるかな」とか、
その人に力を尽くそうとすることが、大きな喜びとなって自分に返ってきます。
各人の可能性を開けるのも、閉じるのも本人次第です。
それでも、お節介であったとしてもかかわろうとします。
かかわって、喜んでくれる人もいれば、疎ましく思う人もいます。
その人との距離、タイミングによって、求める人にしか貢献はできないようです。
今までは、かかわれば即反応が返って来ると思っていました。
しかし、そうではないのです。
学校の先生、教師は特にそれを感じると思います。
生徒、学生にいくらかかわってもすぐには結果が出ません。
いくらその時尽くしたとしても、知識はテストをすれば直ぐに結果が出ます。
しかし、人間教育の結果は何年もかかります。
その時、素通りされた言葉でも本人の中に残っていれば、何年もたってからその言葉の意味が分かり、芽が出てきます。
よって、その時の貢献は決して無駄ではないのです。
ただ、すぐに目の前で結果が出ないので見ることが出来ないだけなのです。
貢献するという事は、種蒔きと同じだと思います。
その時は、反応も何もなくて失敗だったかなと思っても、何年もたってから芽が出て実を結ぶことがあります。
勿論、すべてががすべて実を結ぶとは限りません。
しかし、種を蒔き続けなければ、芽も出てきません。
自分が生きているうちに結果が出なくてもいいのです。
いつか芽が出て実を結ぶ時が来れば、自分の貢献は無駄ではなかったということです。
人間教育というものは、特にそういうものだと思います。
もしかしたら我々は、時空を超えた貢献の上に成り立っているのかも知れないなと思えてきました。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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