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最近、自分自身の中で「失敗」という言葉に疑問が湧いてきました。
なぜなら、自分の失敗を問うてみた時、失敗だったと思う事が出てこなかったのです。
出てこないから、失敗はしなかったのかというと全く逆で、そのことを本気でやろうとしていなかっただけのことです。
本当に目標と決めて挑戦していたならば、それのどこがいけなかったのか、どうすればできるのか、を考えて挑戦し続けていたと思うのです。
しかし、少し躓いただけで「やっぱり無理だ」とか「自分には向いていない」と、諦めの方向に進んでしまっていたのです。
諦めるという事は、そこまでの意識だったのだと思います。
本当にやりたければ、それでも挑戦し続けると思うのです。
躓いたという事は、それが事実です。
しかし、その時「躓いたから失敗だった」と諦めてしまうのか、
「躓いたけれど、どこが悪かったのだろう」と、そこから学ぼうとするのか。
この違いが、結果を分けてしまうと思います。
私の場合、諦めてしまったことばかりのようですが、要は、そこから何も学ぼうとしなかったからです。
失敗から学ぶ前に、諦めが先に立ってしまっていたのです。
無意識のうちに、諦めずに挑戦し続けるしんどさと、諦めて何もしない楽さを天秤にかけて、楽な方を選んでいたのです。
本来、失敗とは「やるだけのことをやっても、達成することができなかった」という状態だと思うのです。
しかし、やるだけのこともやらずに、1回やっただけで諦めるのは、やっていないに等しいことだと思います。
よって、私が失敗だったと思うことが思い出されないのは、失敗できるほど何もやってはいなかったという事です。
今では「失敗」という言葉を出すのも、おこがましい感じになって来ました。
何かに挑戦するという事は、結局は失敗を何度も繰り返すことだと思います。
1回1回の失敗が、貴重な経験となって、自分のものになっていくのです。
その貴重な経験を自分の中で積み上げていなかったので「経験不足」という課題が残っていったのです。
1つの失敗に対しても「事実は1つ、解釈は無限大」と言われるように、その時、自分はどう捉え、どう動くのか。
それがその時々の自分の選択であり、自分の足跡だと思います。
挑戦には結果として、成功と失敗は必ずあると思います。
しかし、自分の思考に於いては、自分が決めたことを達成するまでやるのが挑戦ではないかと思うようになってきました。
次の足掛かりとなる失敗もしないうちに「失敗した」というのは、あまりにも自分で自分を低く見すぎているように思います。
これを反省として、まずは1つ達成するまでやってみたいと思います。
じゃ、また明日!