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幕末は、新しい日本の夜明けと言われた時代ですが、もしかしたら、コロナの夜明けと共通するものがあるかも知れません。
幕末は封建社会で、自分の考えを自由に主張することもできないし、好きな職業に就くことはできませんでした。
現在は自由な職業に就けるし、自由に自分を主張することができる世の中です。
しかし、教科書や本で知る限りでは、幕末の志士たちはそんな時代の中で自分の考えを持ち、自分の志を貫こうとしていました。
現在は、自分の考えも行動も自由になり、誰でもいつでも発信できるSNSも発達してきました。
そうであるのに、幕末の志士の方が自分の命を懸けて生きていたのは、何故なのでしょうか。
今は、いつでも溢れんばかりの情報を手に入れることができ、誰でもが自分の情報を発信することができます。
自由にできているはずなのに、自分の思うように生きておらず、周りを見ながら生きているようです。
それは個々人が「何のために生きているのか?」という問いを自分に投げかけていないからだと思います。
歴史上に残る幕末の志士たちは、いつも「日本の未来の事」を考えていました。
今の現状を少しでも良くするにはどうすれば良いか、をいつも考えていました。
今の人々は、一部の進んだ人を除けば「自分のお金や生活のため」を考えています。
今現在はコロナウイルスの為に「明日の生活をどうしようか」という事に必死です。
しかし、コロナウイルス以前の状態を考えてみても、私も含めて自分の事しか考えられていませんでした。
「自分はどう生きたいのか」「自分の終活はどうするのか」
あくまでも自分の人生の生き方です。
それはそれで良いと思います。
自分を精一杯に悔いのない人生を送るという目的で生きようとしているのですから。
しかし、コロナの今の状況の中にいると、何かそうではないような気がしてきました。
今は、コロナと比較してインフルエンザによるパンデミックの俗称である、スペイン風邪が引き合いに出されることがあります。
そういう、歴史的な見方を目にすることが多くなったせいか、自分の生き方、考え方も少し変化してきたような気がします。
生きる考え方にしても、自分の人生の長さだけ、今の自分だけの生き方の発想で良いのかと。
「何のために生きているのか」を考えの中に入れた時、
自分が何かを得るためだけに生きるのではなく、未来に何かを残すために生きる、という事も含める必要があるのではないかと思いました。
未来の人のために、未来の日本のために、未来の日本の社会のために。
新型コロナウイルスに伴う政府の緊急事態宣言が21日に解除され、大阪・京都・兵庫は23日午前0時から休業・営業短縮の要請を縮小して足並みをそろえることになりました。
「新しい生活様式」の始まりです。
100年前のスペイン風邪の例を語っている私たちが、100年後の未来の人たちから「コロナウイルスによってその時から新しい生活様式が始まった」と語られているかも知れません。
新しい生活様式は、新しい時代の始まりでもあると思います。
今迄の「自分のお金や生活のため」から「未来の人々や社会のため」を意識しても良いかなと思います。
コロナが少し落ち着いてきたので、これからは社会経済の歪みが表立ってくると思います。
そんな中で自分は「何のために生きているのか」。
コロナから宿題を貰ったような気がします。
じゃ、また明日!