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全国的に今週の外出自粛は、先週より人出が減ってホットしています。
しかし、地元の商店街は相変わらず多いようです。
外出自粛は、人のためでもありますが、自分が人に移さない、人から移されない自分のためでもあります。
「誰かのために何かをしたい」と私たちは思います。
災害があった時や、今回のようなコロナの時は、特にそう思います。
平時でも姿勢としては「お客様のため」「患者様のため」「家族のため」「子供のため」と、思います。
しかし、
「あなたのために」と思っていても、自分でも気が付かないうちに、自分自身のためにしていることもあります。
例えば子供に対して「勉強しなさい。社会に出た時に困らないように、あなたのために言っているのよ」と。
もしかしたらこの言葉は「自分が成績の良い子供の親である」という、自分の存在意義を確かめたいがために言っているのかもしれません。
上司が部下に「君のために忠告しておくけれど」と。
これも、部下が自分の思い通りに動かなかったり、自分の理解の範囲内に留めておくために言っているのかもしれません。
もしかしたら「あなたのために」は「相手を自分の思う通りに動かしたい」願いなのかもしれません。
「誰かのためになりたい」も同じで、誰かに感謝されたり、誰かの笑顔を見たりすることで、自分の存在意義を確かめているのかもしれません。
なぜなら、
相手の感謝が不十分だったり、相手が思ったより笑顔にならなければ、不安になったり、モヤモヤするからです。
それは、しいては自分の存在意義が証明されなかったための怒りや不安を感じたからです。
そういう不安や怒りは感じる必要のないものです。
わざわざ「誰かのために」と、声を張り上げなくても、自分が得意な事をしていればそれを必要とする人が必ずいます。
今回も、マスクが足らない。
じゃあ、工場で余っている布で作ってみよう。自社の素材で作ってみよう。
自宅に布が余っているから、自分で作ってみよう。ついでにお友達の分も作ってみよう。
それらの気持ちが、十分誰かのためになっているのです。
人は信頼関係で成り立つと思います。
自分が出来ることを発信すれば、必ずそれを必要とする人が寄ってきます。
大切なのは「誰かのためになりそうなこと」をするのではなく「自分が心を込めて誠実にできること」を実行することだと思います。
「誰かのため」となると、その目が自分の心ではなく、他人の心に向いてしまいます。
それがわかりやすいのは、日本に限らず外国でも「国民のために」が次の選挙の票に繋がる誰かに目が向いてしまいます。
だから支持を得ないのです。
今、各国のリーダーを国民はしっかり見ていると思います。
本当に国民のためにやっていることなのか、自分の選挙のためにやっているのか。
本当に現場をわかってやっているのか。
ある意味、自分の姿勢を示している時だと思います。
翻って自分を振り返った時、東日本大震災、熊本地震、西日豪雨の時など、自分自身が阪神淡路大震災の時に全国の方々から助けて頂いたという気持ちがあるので、自分が出来る範囲の中で微々たる支援をしました。
しかし、それも自分の存在意義を証明するための確認だったのかなと、自分に聞いてみる必要があると思いました。
次、何かあった時は、自分が心を込めて誠実にやれることであれば、やはり自信をもって誰かのためにお役に立てればと思います。
じゃ、また明日!