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コロナのおかげで、明日の生活に切羽詰まっている人と、明日の生活は他人事にしか感じない国会議員のような方々に分かれます。
そこには大きな隔たりがあると思います。
ビジネスでは「誰とやるのか」「何をするのか」と、よく言われます。
今現在の日本という国を見た時、トップの人は、国民の命を預かっているという事を忘れてはならないと思います。
そんな中、私が関西だからかもしれませんが、大阪の吉村洋文知事は「府民の命を守る」方向で仕事をされているのを感じます。
多忙な姿にSNSで「吉村寝ろ!」とねぎらいの言葉が多く上がっているようですが、私も他県ながら応援したくなります。
そんな声に対し、
「政治家として、緊急事態のときは常に判断をし、決断し、実行していくのは当たり前の仕事」と述べ、
「ねぎらいの言葉をかけていただいている人たちこそが、今しんどい思いをしている。お金も、お客さんも来ず、なかなか外にも出られないという方々がほとんどなのに、応援していただいて本当に感謝しかない」と、言葉を詰まらせた定例会見を私も見ていました。
そして、
「政治家は4年に1回選挙がある。『府民の皆さんのために』と思えることはすべてやり切って、職員ではなかなかできない判断をし、何とか府民の命を守るということをやり切りたい。それでボロボロになったら、(自分を)使いすてたらいい」と。
最近では「吉村府知事、首相と変わってくれー!」という声も出てきています。
もしも、吉村府知事が首相であれば、今、国のお金の使い方は全然違っていたと思います。
貴重なマスクはいまだ届いていませんが、
「緊急事態のときは常に判断をし、決断し、実行していくのは当たり前の仕事」という政治家魂は、いつの時代でも必要ではないでしょうか。
作家のひすいこたろう氏は「ココロザシとは、自分以外の人の幸せのために自らの人生を差し出せること」と、書かれています。
時代が変わるとき、坂本龍馬や吉田松陰や高杉晋作のような魂を持った人が現れています。
私の勉強不足で申し訳ないのですが、つい最近までの首相や国会議員で魂を持った人は、残念ながら私は存じておりません。
龍馬大好きのひすいこたろう氏は、
「龍馬は自分の夢を叶えようとするのではなく、天の願いを叶えようと生きていた。
天の願いに自分の想いをかさねて生きていた。
その時、生まれるのが清々しさです」
と、書かれています。
志を持った人、魂を持った人に出会った時、人々の中にも自然に志は芽生えるのかも知れません。
今回のコロナ戦争は地球規模です。
敵はコロナウイルスであり、人間の陽性者の方々ではありません。
武器はサージカルマスクであり、防護服であり、人工呼吸器です。
今は、医療の最前線で戦っている医療関係者に、武器を渡さずに戦わせているようなものです。
あまりにも国のトップの行動が遅いので、各都道府県のトップが動かざるを得ない状態です。
国民が支持するか、支持しないか。
それは其々のトップの志に共感するか、共感しないかに繋がっていくと思います。
今、じわじわと一般国民の中から、自分たちが出ていく時ではないかと思われている人々もいるように感じます。
いずれにせよ、志を持った人達です。
底辺の市民、国民が其々志を持った時、日本は子供たちの未来に素晴らしいプレゼントを残すことが出来ると思います。
じゃ、また明日!