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私は昔から「何となく」という言葉をよく使っていました。
「AとBと、どちらが良いですか?」と聞かれたら、「Aです」と、答えたものの、
「では、なぜAが良いのですか?」と重ねて聞かれれば答えに詰まり、
「なんとなく」と言うしかなかったのです。
それは、その事について深く考えていなかったからです。
例えば、幼稚園児とピカソが書いた2枚の絵を見せて、
「あなたなら、この絵にいくらぐらいの値段を付けますか?」と聞いたならば、
もしかしたら、幼稚園児の絵の方が高い値段を付ける人もあると思うのです。
理由は「何となく、こっちの絵の方が良いと思ったから」
しかし、最初から作者を伝えて2枚の絵を見せると、
必ずと言ってよいほど、ピカソの絵の方を高い値段に付けると思うのです。
理由は「ピカソの絵は値段が高いから」
でもそれって、ピカソの絵の価値が本当にわかっているのでしょうか?
その価値を見出している根拠はどこにあるのか?
と、問われたなら、答えられる人は限られてくると思います。
「何となく」は「根拠がない」ということだと思います。
本当は「根拠がない」のではなく、深く掘り下げて考えていないから、応えられないということなのです。
最近は「何となく」と答えることが恥ずかしくなってきました。
なぜなら「私はそこまで深く考えたことがありません」と言っていることになるからです。
よって、何かを選択したり、決断したりする時は、人に説明できる理由なり根拠を持っておかないと、
話にならないことがわかってきました。
最近のコロナウイルスの問題でマスクやトイレットペーパーが売切れています。
今日も、ドラッグストアには「マスク売切れました」の張り紙がありました。
昨日、入荷した時には人だかりになっていました。
確かにマスクは少しは防げるかもしれません。
しかし、コロナウイルスに対しては「うがい」と「手洗い」です。
「何となく」不安だからと買っているから、本当に必要な医療機関ではマスクが足りないのです。
今、病院の医師や看護師さんが陽性になっています。
そうなると、病院は一時閉鎖になる所も出ています。
本当に困るのは、そこの病院に入院している方や通っている方々です。
元気な人の「何となく」の行動が、弱い人の命にかかわる結果を呼び起こしていることにもなるのです。
それを思うと、私も「何となく」は自分の中から排除すべきものだと思った次第です。
じゃ、また明日!