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「苦しみの原因は、物事に執着するから苦しむ」と言われます。
確かに必要以上の執着は、自分自身をがんじがらめにして、自ら自分を苦しめてしまいます。
私は自律神経が弱かったので、心臓の鼓動が早くなったりしていた時がありました。
そんな時、動悸を感じ始めたらそこに執着してしまい、毎日脈拍を書き留めていました。
一度脈拍に囚われると、脈拍から頭が離れられなくなり、
動悸がし始めると心拍数を計ってノートに書いてしまうのです。
今から考えると、その脈拍を書き留めるという行為がすでに脈拍に執着してしまい、
病そのものであって、余計に自分で脈拍を上げていたのです。
執着心が強い人は、比較的真面目であったり、独占欲が強かったり、コンプレックスが強かったりすると言われますが、当たっているような気がします。
今、コロナウイルスで会社を解雇されたり、フリーランスの人など仕事が無くなったりしています。
私が通っているスポーツジムでもスタジオプログラムが中止なので、インストラクターさんは仕事がありません。
この状態が長引けば、貯金の切り崩しにも限界があり、本当に仕事を探さなければなりません。
そんな時「自分はインストラクターの仕事しかできない」と思っている人と、
「こんな時だから、インストラクター以外の仕事も経験してみるか」と思う人と。
執着している時は、思考の柔軟性がない時です。
こんな時だからこそ、色々なことに挑戦して、知らなかった自分と出会ってみても良いのかもしれません。
結局、逞しく生き抜くためには、自分が執着から解放され、自由な発想が出来るようにすることだと思います。
魂の想像力や柔軟性というのは「経験」と「感動」の数に比例する、と言われます。
なるほど、周りを見渡してみると、私のように経験と感動の少ない人は、考える選択肢も少なく、
経験と感動の多い人は、あまり深刻にならずに「どうにでもなるさ」という発想のようです。
病気になれば、元気に飛び回っていた時を思い出し、また、あの時のように飛び回りたいと自分を想定します。
お金を失えば、ブランドものを着ていた頃を思い出し、今の自分を惨めだと思ってしまいます。
或いは、美味しいものを食べていた時を思い出し、豪華な料理を食べたいと思ってしまいます。
「執着」とは物事の良い・悪いの価値観ではなく、その状態を自分がどう受け止めるかによると思います。
例えば、退職後の再就職をする場合でも、見栄や肩書に囚われ、以前の立場に執着する人もあれば、
第二の人生だから職があるだけでも有難いと、どんな会社にでも再就職する人と。
今までの自分に執着すると、範囲が狭まり、人生を楽しむことが出来ないと思います。
執着を捨て、なんでも経験してやると思えば、新たな自分に出会うこともあると思います。
「執着」はない方が自分が楽しく自由になれると思います。
じゃ、また明日!