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自分の目標やビジョンを考えようとした時、どうしても力が入りすぎてしまいます。
何故なら、こんなちっぽけなことはビジョンにはならない。とか、夢にしては小さすぎる、とか。
力めば力むほど、重たくなって考え込んでしまいます。
昔から「夢は大きく持て!」と言われますが、大きいのが夢で小さいのは夢ではないとは、誰も言っていません。
自分が勝手に、夢は大きく持たなければならない。と、思い込んでしまっているだけです。
山に登るなら、エベレストでなければならない。富士山でなければ山に登ったとは言えない。
などと登った人は言うかもしれません。
しかし、裏山にさえ登ったことのない人間が、どうしたらエベレストや富士山に登れるか?と考え込んでも、気が重くなるだけです。
気が重くなれば、本来は感動するエベレストや富士山を見るもの嫌になってしまいます。
何年もかかって考え込んで気が重くなるようなくらいなら、軽く、ハイキングにでも行くつもりで裏山に登った方が健康的です。
気合を入れすぎると、時として体がすくんでしまい、身動きが取れなくなる時があります。
何が何でも結果を残さなければ・・・。何が何でも成功させなければ・・・。失敗すれば逆評価になってしまうから・・・。
しかし「失敗は成功のもと」。
失敗がなければ、進歩も成長も無いのです。
よって、失敗は前進のチャンスだというつもりで、恐れず失敗をしていけばよいと思います。
人生の目標やビジョンというのは、本来、自分のやりたいことや、好きなことだと思うのです。
もっと自由で自然体な、自分からの発想や考えだと思うのです。
よって、自由でのびのびしたものであるはずなのに、なんだか重苦しくて、負荷だけがのしかかってくる。
もっと単純に、自分の好きなことをしている程度からの出発でいいと思います。
単純に、自然体で自分の好きなことから始めると、時間がたてば物足らなくなり、裏山からもう少し高い山に登りたくなります。
そして、気がつけばいつの間にか富士山に登っていた!と。
心の準備が整っていない状態の時は、いくら大きな夢を描いても気が重くなるだけです。
いくら気合を入れても、なかなか行動には繋がりません。
そうであるならば、自分の小さな好きを大事に育て、大好きになった方が、本当の目的、ビジョンになるのではないかと思います。
「しあわせ」も同だと思います。
大金持ちになって忙しくなり、大きなダイニングルームで家族バラバラに食べている時よりも、
小さなキッチンで、みんなでお皿をつつきあって食べる方が「しあわせ」を感じる時があります。
今、自分が追い求めようとしている夢は、大小にかかわらず、自分が楽しく取り組めるかどうかにかかわってくると思います。
肩の力を抜いて自然体の自分で、夢に向かって一歩一歩前進したいと思います。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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