「徳」と言えば、その人の人間性というか、品性や行動のことだと思います。
本来なら人間関係に於いて当たり前であった思いやりや誠実さ、公正さ、勇気、謙虚さなど「7つの習慣」に書かれてあるようなことですが、それが当たりまえではなくなり、むしろ段々とこれらの反対のことがまかり通るようになってきていると思います。
本質的には、日々の生活の中で、人との関わりにおいては「徳」というものが発揮され、社会全体が生きやすく、住みやすいところを目指していたと思います。
しかし、現実的には「徳」の世界からだんだん離れて行っているような気がします。
それはなぜかというと、結局は自己中心的や自分だけ発想で、人を思いやったり、相手の事を考えられなくなっているからだと思います。これは間違った民主主義がまかり通って、すべて損得のつながりでしか事が運ばないようにされていたり、肩書など損得でしか生き延びられないようになってしまったからだと思います。
しかし、それらも国民一人一人の選挙の投票結果だと思います。
日本は戦後、高度成長期を迎え右肩上がりの国でした。アジアのリーダーになる国だと言われていました。それがいつの間にか、ウサギとカメではないけれど、アジア各国に抜かれてしまい、貧困の国になりつつあります。本来は日本人の心は「大和魂」と言って、思いやりのある心の持ち主だったと思います。
それが自分で考え自分で判断し、その結果の責任をとるという人として大切な生き方が抜け落ちてしまったのです。「長いものに巻かれろ」「みんなと同じ安全な道を行け」「目立つことはしない」「世間に合わせればよい」
結局はそこには自分の人生などないのです。自分の足で踏ん張って生きようとする強さは骨抜きになってしまいました。「徳」とはかけ離れた世界で息苦しくなっているのです。
「徳」が高い人というのは、困っている人がいれば自然と手を差し伸べます。
今のいじめの世界のように、困っている人がいても保身のために、はやし立てる方に自分をもって行きます。
そこでの表面だけの繋がりが繋がりだと勘違いしたまま生きています。
他者のために行動することが結局は自分の心を豊かにするということを知らないのです。
約束を守ったり、自分の言動に責任を持つという誠実な生き方がわからないのです。
よって人から心底信頼される経験がないから、信頼関係を深めることもできないのです。
「ありがとう」や「ごめんなさい」の当たり前の言葉が出ないのです。
感謝の気持ちを表すということは、コミュニケーションをスムーズに動かし、周囲の人々とのモチベーションを高めるだけではなく、自分自身のモチベーションも高まるのです。
四季折々の山と海に囲まれた日本人の豊かな心が、いつの間にか砂漠の心になりつつあると思います。
1人一人が「徳を積む」生き方をすれば、日本人はもっと楽に生きれるのではないかと思います。
じゃ、また明日!