人生には選択することが多々あります。朝食をご飯にするかパンにするか、或いは旅行を沖縄にするか北海道にするか。これらは人によっては非常に大きな選択かも知れませんが、まだ楽しみのある選択です。しかし、時にはその後の自分の人生を大きく左右する選択をしなければならない時もあります。
上記のように「ご飯かパンか?」「沖縄か北海道か?」など並列の選択の場合は「蕎麦」や「箱根」など第三の選択肢がある場合もあります。そんな場合はその時の気分で第三の選択をしても可能になります。
しかし、二者択一のように究極の選択を迫られた場合、2つに1つを選ばなければならないので、非常に苦しくなります。どちらも手入れたいし、どちらも手放したくない。結局はどちらも選べないという究極の選択。
そのような場合は、相反する2つの間の板挟みとなって、その狭間で悩んでしまいます。しかもそれが今後の自分の人生を左右するような事であれば、尚のこと選択は難しくなりジレンマを感じてしまいます。
そこに人間関係が絡んでくると、あちらを立てれば、こちらが立たずと、両者の顔色を伺ってばかりになり、自分の願いなどフットんでしまいます。
そんな時、自分を見失わないようにするには、自分の本当の願い、本当の望みは何だったのか?いうことです。
その選択が自分のその後の人生に関わるなら、尚更、自分の本当の願いは何だったのかを思い出す必要があると思います。
自分の将来を考えた時、どういう状態であったらいいのか?どういう場面が自分がしあわせだと思うのか。
これは非常に大切な事だと思います。
自分の選択の道は必ずあります。そのためには、問題と同じ平面に居ても、問題の解決法は見つからない、ということです。
自分の意識を変えて、抽象度のレベルを上げるという方法があるようです。
2つの矛盾する望みを同時にどちらも叶える方法、どちらも内包する視野を見つけるという方法です。
すべての問題は「本当は問題では無くて、ある1つの物事の一面に過ぎない」と捉えれば、そこに自分の本当の気持ちを持ってくれば良いのです。
何事も「なるようにしかならない」と思うので、二者択一の罠から抜け出して、人の顔色ではなく自分の素直な気持ちに従えば、行動へと繋がると思います。
じゃ、また明日!