人はその時の視点によって、感じ方、捉え方が違います。同じ状況でもしあわせだと感じる人と、もっと幸せがあるはずだと感じる人と。例えばおにぎり1つ取ってみても、震災後に配られるおにぎりは何も入っていなくても美味しく、それだけでしあわせを感じます。しかし、普段何事もなく平穏無事に過ごしている時は、おにぎりなんかより時にはフランス料理やイタリア料理を食べに行こう!と言って、おにぎりの有難さはあまり感じることが出来ません。
視点とは、「ものの見方、考え方」だと思います。
同じものをどの角度から見るかによって見え方や答えが違ってきます。
よってどれが正しいとかはあまりないのです。正解はその人が感じたものが正解になるだと思います。
私は今まであまり気付いていませんでしたがよく「大丈夫」と言っているような気がします。
人に限らず動物にでも、怯える姿を見た時は「大丈夫」と言ってしまいます。特に裏付けや確信があるわけではないけれど、反射的に「大丈夫」なのです。同じ状況でも怖いと思って恐怖におののくなら、大丈夫と言って自分に言い聞かせているのかも知れません。
生きている中には人に嘘をつかれたり騙されたりすることがあります。その現象だけを見ていると、あんなに親しくしていたのに、嘘をつかれていた。とか、騙された。となりますが、視点を変えれば、嘘をつかなければならない訳があったり、騙す理由があったのだと思います。
私利私欲のために騙しタリするのは勿論許せませんが、相手を悲しませないために吐く嘘も時にはあると思います。
そんな時、嘘だと分かった瞬間だけを捉えると、裏切られたと思ってしまいますが、普段から誠実そうなのになぜ?と視点を変えてみると、自分を悲しませないための嘘だと分かる時もあります。
その時、自分はどう捉えるかによって、一生、騙されたと思って相手を恨み続けるか、自分を悲しませないように嘘をついてくれたのだと、返って相手に感謝の気持ちをいだくか。その視点の違いで自分の人生そのものにも影響を及ぼすこともあります。
そしてどうせなら、親しくしていた人ならば余計に、嫌な想いをいだきつづけるよりも、やはり自分を大切に思っていてくれたのだと、良い思いをいだくのとでは、その後の人生も違って来ると思います。
視点を変えるかどうか、視点を変えられるかどうか。
私は瞑想を始めてから視点を変えられるようになってきたと思います。
視点を変えられるようになってきたから、人を恨むようなこともなく、その裏にある背景も見えるようになってきました。
そして視るべきは、自分自身であって他人ではないのです。
これも瞑想効果の1つだと思います。
じゃ、また明日!