人は人を見た時、その外見や自分の価値観で相手を観てしまう時があります。しかし、自分の物差しは自分が正しいと思っているだけで、自分が思うほど正確ではないようです。
15cmの物差ししか持っていない人は15cmの範囲で判断し、30cmの物差ししか持っていない人は、30cmの範囲で判断してしまいます。自分では30㎝もの物差しを持っていると誇らしげに思っていても、50cmの物差しを持っている人から見れば「何を言っているんだ!」となります。
しかも、自信を持っていない人の物差しは、相手の欠点を測り優越感に浸ります。反対に誇らない人の物差しは、相手の良い所を測る為に使っているようです。
よって、そもそも自分が持っている物差しの長さで相手を測ることは間違っていることが多いと思います。
自分の物差しの短さを認識し、お互いの精度の低さを認めあってそれぞれの長所を尊敬しあえるのが、より良い判断を導くと思います。自分の物差しより相手がはみ出している場合、無理にでも自分の物差しの長さの中に相手を閉じ込めようとしてしまいます。それではどうしても窮屈になり、相手は離れて行きます。
結局は違いは違いとして認め、共感できる部分は共感するというその距離感が、一番楽で正確に測れるのではないかと思います。見た目を測る自分の物差しも絶対ではないし、かといってすべて間違っている訳でもありません。
ただ、相手を深く知って理解していくには、ある程度の時間が必要かと思います。
その場限りの1回きりの付き合いであれば、それでも構わないのかも知れませんが、同僚であったり、グループのメンバーであれば、時間をかけて色々な角度から相手を観ていく必要もあるのではないかと思います。
自分が人さまから優しくしてもらう価値も資格もないのに、優しくしてくれる人はかなり長い物差しを持っている人だと思います。そういう人は心の体温計も普段から高くて、正常に働いている人だと思います。
自分の心の温度が低いとその低さ迄しか相手の温度を感じることが出来ません。相手の心の温度が高いと、そこでも相手を正しく測ることが出来ないのです。
自分がどれくらいの長さの物差しを持つことが出来るのか。或いはどれくらいの長さの物差しを持っておきたいのか。
今回ふと気づいたのですが、物差しではなくメジャーだといくらでも相手を測ることが出来ます。そして1mの物差しを持ち運ぶより、3m、5mのメジャーならいつでもポケットに入れて持ち運べます。
それなら、相手を自分の物差しの長さに押し込めずに相手そのものの長さを正確に測ることができます。持ち運びの邪魔にもならないし、自分のストレスもかかりません。
昔は巻き尺と言っていたメジャー。その中心の巻いている部分は、愛情が深ければ深いほど長く巻き取れるような気がします。
じゃ、また明日!