人は一生のうちに色々な人と出逢います。出逢いがあり別れがあり、また新たな出逢いがあるという繰り返しです。
人は愛されるために生れて来たと言われますが、人に限らず生き物は愛されるために生れて来たと思います。
愛されるという中には必要とされるという意味もあるし、生まれて来た意味があるということでもあると思います。
誰もが誰かの「only one」になりたいと思っています。互いに欠けている部分を補い合ったり、自分では気付けない長所や短所も教えて貰えます。また、自分の力不足を思い知らされたりもします。
そして誰よりも真剣に叱ってくれたり、いつも誰よりも見守ってくれているのです。自信を失ったとしても、必ず復活すると信じて待ってくれているのです。
心配する相手がいることは素敵なことだと思います。なぜなら、良い時も悪い時も共に喜び、共に泣けるからです。そのためには、互いが互いを必要とし、相手の状態をいつも気にかけているということだと思います。
よって、良い時も悪い時も、共に感じることが出来るのだと思います。
自分の思っていることや考えていることを素直に話すことによって、改めて自分が本当に求めているものがわかる場合もあります。もしかしたら本当は自分が求めているのではなく、理解して欲しかっただけのことかも知れません。それらも、話すことによって気付いて行くのだと思います。
そしてお互いのことをよく理解して、お互いの良い所を引き出していくのです。
人は愛されるために生れてきています。そして、人は人によって磨かれ、自分の可能性を広げていけるのだと思います。輝く自分になる為には、色々な体験をして出逢いを見つけることも大切です。そして、自分が気付かなかった自分の感性に気付いて行ったり、そこからまたあらたな自分が展開されることもあるのです。
結局、人は人によってでしか磨かれないのだと思います。さまざまな人から影響を受け、自分らしい生き方を積み重ねることによって、自分の望む生き方に辿りつくのだと思います。
自分が磨かれるためには、時には痛みの伴うこともあると思います。
しかし、その痛みの後には磨かれた自分がそこに輝いているのです。
人との出逢いはご縁だと思います。縁があるから出逢えたのであって、縁がなければそのまますれ違ったままです。そして、その時々によって「今の自分だから出逢える人」がいるのかも知れません。
その今の自分を創るのも、自分自身だと思います。
出逢いもチャンスもすべては自分が蒔いた種なのかも知れません。
自分に影響を与えてくれた人であれば、いつまでも自分の中で記憶として残っていると思います。
その教えは自分の中で誰かが生き続けているようなものです。
そしてその記憶は、また誰かの記憶へと引き継がれていくのかも知れません。
よって、今の自分だから出逢えた人を大切にしていきたいと思います。
じゃ、また明日!