会社の中でもグループの中でも、時には厳しい指摘をする時があります。それはその人がもっと出来るはずでそこまでやってもらいたいという想いから、つい、厳しくなってしまう時もあります。最近は意味もなく罵詈雑言を吐く人もいるので、それはパワハラになる可能性もありますが、今までなら、部下を鍛えたり成長さすために、厳しい言葉もあったかと思います。
人を叱ったり、厳しく注意するのは、する側もあまり良い気持ちにはなりません。本来なら何事もなく仲良くやれるのが一番です。よって、言った本人も言われた人同様に、後味の悪い嫌な気持ちになっていると思います。厳しい言葉や指摘は、本人の成長を想い、改善点を伝えているからです。それを素直に聞けないで反発したりパワハラだと訴えたりするのは、そこでの成長のチャンスを失ったと思います。
人は注意されている時がまだ希望を持たれている時で、あまり改善されなければ、それすらなくなります。指摘された側の人達は、鬱陶しいと思うかも知れませんが、そこは自分を成長させるための通過点だと思います。そしてそれらが伝わらない人には早く見切りをつけた方が良いのではないかと思います。
叱咤激励の内容が正しければ、それはその人を成長させるための愛情だと思います。その人のことを想って、その人が今よりも良くなるための叱咤激励です。それはその人に対する愛情の表れだと思います。そしてそれがその人との関係性を築いて行くのだと思います。
今、世の中は「やりたい事をやるべき」という考えが主流になって来ていますが、もう1つ、「やらなければならないことをやる」というのもあります。もしかしたらこれが「使命」と言われるものかも知れません。もしもそれが「使命」であるならば、余計に必死になって感情的になって、その人を何とかしようとするのだと思います。
困っている人を助ける、皆がしあわせに成るようにする、世の中に溺れるような人を助ける、世の中の哀しみを減らす、皆を平等にしあわせにする。これらは信念を持って行動していると思います。だから余計に一生懸命になるし、期待と現実のギャップが大きければ、感情的に叱ってしまう事もあるのだと思います。
私など、スルーせずに叱って欲しいタイプなので、言われれば、自分の気付いていなかったことに気付けるチャンスだし、それに対して違うと思えば自分の考えがよりクリアになるので、言って欲しいと思いますが、人によっては特に若い世代にとっては、パワハラになるのかも知れません。
それも、その状況を自分がどのように受け取るかの違いになって来るのだと思いますが、価値を生みだす人との関係性は深めた方が良いと思います。
言えることは、正しい指摘は愛情の表れだという事も一理あると思います。
じゃ、また明日!