「なすことによって学ぶ」この言葉はアメリカの教育学者デューイの「Leaning by Doing」を日本語に訳した言葉だそうです。体験学習は大切だという事は思っていましたが、こういう言葉があったとは知りませんでした。
論語も「実践哲学」と言われているようですが、学んだことは実践して初めて自分のものになります。
デューイは「人は、経験したことから学ぶことが多い。だから自分の経験したことを基に考えを深めることでさらに成長し、その経験を価値づけていくという事を繰り返していくことが重要である」と。
確かに私はあまり勉強は得意ではなかったけれど、学校は楽しかったです。なぜなら、毎日自分の知らなことを教えてくれるし、音楽会・学芸会などの催し物は体験そのものです。出来なかったことが出来るようになり、それによって自信を付けたりもしました。
特に合奏などは自分1人がその楽器が弾けても、単独のメロディーだけです。それが色々な楽器と一緒に奏でるから、その音楽の楽しさを感じることが出来ました。仲間と共に協力して1つの音楽につくり上げる。合奏というものも体験学習そのものだと思います。
遠足やキャンプにしても、今まで行ったことのない処へ行き、キャンんプなどもみんなと協力してカレーを作る体験をしたと思います。時には上手くいかない時もあります。しかし、今思えば体験というものには失敗というものはないような気がします。
なぜなら「失敗」という体験をしているからです。そして、その失敗は次に活かせます。次はどうすれば失敗しないでやれるか。それも学びです。「失敗という経験」は教室での座学では学ぶことが出来ません。学びを行動に移すから、その時に失敗という経験を学ぶことが出来るのです。
例えばいくら座学で「包丁は手を切る可能性があるから気を付けなさい」と言われていても、実際に人参やジャガイモを切る時に力の入れ方や反対の手の添え方が悪いと、時には指を切ってしまう可能性もあります。そして不幸にも少し切った時に、注意されていたことがこういうことだったのだなと、身をもって理解できるのです。そして次回からは気を付けてやるように出来るのです。
それは大人になってからも同じです。仕事に限らず、1つ1つを行動に移すから、そこで失敗を経験し、次に活かすように出来るのです。本当に価値があるのは、学びを行動に移し、それを自らの経験として深めることだと言われます。
世の中が「体験学習」の大切さに気付き始めているのも、「なすことによって学ぶ」ことの必要性を感じているからだと思います。知識だけ、頭だけでは心に残らないのです。体験学習のように身体で感じるから心に残るのです。
考えてみれば私たちは生まれた時から体験学習の連続です。寝返りから始まって歩けるようになり走るようになる。その体験を通して本やビデオなどで、どうすれば早く走れるかという知識を入れていくのです。マラソンでも水泳でも、まずやって体験して出来るようになっていくと、もっと早く走りたい、もっと早く泳ぎたいと思うから、知識を得ようとします。
それが自然な学び方だと思います。「なすことによって学ぶ」これが本質だと思います。
じゃ、また明日!