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私の知人は、習っていた筋トレを止めてしまいました。なぜなら、やればやるほどカラダを痛めたからです。本当は体力を付けるために始めたのですが、先生との相性が悪く、辞めることにして今は違う所へ行かれています。そこの先生とは相性が良かったようで、今も喜んで通っています。

習い事や何か始める時は教えてくださる先生との相性も非常に大切だと思います。私がヨガを習っていた時、体調が良くなった経験から、何かカラダを強くしたいという同僚を紹介しました。はっきりものを言われる先生でしたが、私はそのタイプだったのですが、彼女は反対のタイプだったようで、先生の一言一言がカチンと来るようで、合わないからと辞めてしまいました。

人にはそれぞれタイプがあるようで、褒められて伸びる人と、厳しくされてもついて行く人とがあるようです。私の同僚は褒められて伸びるタイプだったので合わなかったようですが、冒頭の彼女は厳しくされてもついて行くタイプでした。しかし、先生の認識と少しずれていて、カラダを痛めたようでした。

そこの先生は、スパルタ式でどんどんやらせるタイプでした。その先生はご自身が努力家でマスターするまで血のにじむ努力をして何でも習得して行ったので「やれば出来る」と信じていました。よって生徒さんにも自分と同じレベルを求めていました。

しかし、あらゆることに挑戦してマスターして行ったその先生と、体力を付けたいからと学びに行った知人とは基礎体力が違っていたのです。教える側が「これぐらい出来るだろう」と思っているレベルと、生徒側との間にはかなりのレベルの差があり、ハード過ぎたのです。しかし、真面目な生徒ほど歯を食いしばって頑張って付いて行こうとしていました。

そういう生徒程休みがちになり、実際は腰を痛めたり膝痛めたりで、練習をすることが出来無い状態でした。私の知人もやっていても「そうじゃない!」と強く力を入れて矯正させられ、結局カラダを痛めてしまったのです。

これは先生自身がやってこられたことを基準にして生徒にも求めた結果だと思います。先生はあらゆることをマスターした結果の今現在だと思いますが、生徒の方は基礎体力からの出発です。よって続くのは基礎体力があり、色々な事で鍛えている人にとっては良いかも知れませんが、そうでない人は結局は辞めていくことになるのです。

先生がいくら良い技術を持っていたとしても、いくらこれが良いから教えようとしても、相手がそれを求めていなければ、結果的に伝えることは出来ないのです。一人1人の個性、一人1人に対するやり方を加味していかなければ、結局は育たないのです。

私も色々な事を習いましたが、やはり自分が出来たから出来るだろうと押し付ける先生と、人によって教え方を変える先生とがおられました。そして、私も押し付ける先生からは離れていきました。なぜなら、やっていて面白くないし、先生自身が「出来ない」という事が理解できないので、すれ違いで終わるのです。これは双方にとって、勿体ない事だと思います。

生徒に耳を傾ければ、其々に何が必要かはその生徒が教えてくれると思います。一斉に上から流せば早いかも知れませんが、それに乗れる人はごく限られるし、離れていった生徒の中にもやり方を変えれば延びる可能性を持った人も多かったのではないかと思います。

教える側は主体は自分です。しかし、その生徒にとって何が必要かは、生徒が教えてくれると思います。教える側は生徒に耳を傾ければ答えがわかるかも知れません。

じゃ、また明日!

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