最近あちこちでリーダーに関することを書いたものを目にする機会がありますが、そこで共通するのは「まずリーダー自身が『共感される存在』になる必要がある」と、言う事でした。
企業に限らず、クラブ活動やグループ活動など、やはりリーダ―になるべく人は、皆から尊敬され、信頼されている人です。それらが欠けている人は、いくら声掛けしても、みんなのモチベーションを上げることは出来ません。仕事そのものの共感も大切ですが、それ以上に「この人の為なら、何とでも成し遂げたい」と、思って貰えるかどうかだと思います。こういう気持ちがメンバーの中にあれば、一致団結して難関も乗り越えて行けると思います。
反対にメンバー同士の中で共感出来ない人がいる場合、どちらも自分が正しいと思っているので、なかなか相手と共にやって行こうとはなりません。挙句の果てはそれぞれが其々のやり方で勝手にやってしまう事になり兼ねません。リーダーがしっかりしていない場合はこの状態になってしまう可能性があると思います。
そんな時、采配を振るうのがリーダーだと思います。そして、その時のリーダーの判断と人望が問題を解決するか、しこりを残すかになって来るのです。リーダーは公平な目で判断する必要があるし「どちらの考え方の方が、目的に則し、全体が良くなるのか」という判断のもと、正邪が決まってきます。
そして、その判断は対立している双方のみならず、それ以外のメンバーにも共感される判断を下すことが出来るかどうかです。メンバー全員に共感を得ることが出来るなら、そのグループの組織や文化は上手くいっていると思います。
リーダーは私利私欲や自己中心性があっては、人は付いて来ないと思います。最近問題を起こしている会社のリーダーを見ていると、やはり権力を振りかざしたり、自己中心的であったり、保身に回ったりしています。それでは社員のみならず、世間からも共感を得ることは出来ないと思います。
面白いことに最近のニュースでは、今までなら何とか治まるだろうと思っていた事でも、社会はそう判断せず、波紋はどんどん拡がって行きます。ヘタをすると会社そのものの存続にも関わって来るかも知れません。よって、今までのように権力やおごり高ぶった考え方は、世間では通用しなくなってきました。
これは持続可能な社会とうたわれ出してから、自社が長く続くためには世間のイメージも大切にし、社内のみならず世間一般にも共感されるような判断が必要とされる時代になってきたようです。そしてその源は、判断を下すリーダーの能力、人間性が人々から共感される存在なのかどうかにかかってくると思います。
じゃ、また明日!