後数日で能登半島地震から1年です。昨年のお正月は元旦から吹っ飛んでしまい私の中ではありませんでした。三が日どころか2月3月も落ち着かず、ようやく4月になってから2024年が始まっているのだと思ったくらいでした。2025年も大きな災害が予想されています。その時自分はどう行動するのか。
災害に拘わらず、何か大変なことが起こった時、自分の本当の姿が浮き彫りになるようです。普段では見られない本当の自分の姿。その時に自分というものが試されるのです。自分自身のみならず、他の人も当然試されているので、さまざまな人の本質を見ることが出来ます。時には地域の本質も垣間見ることが出来ます。その時に世の中の本質を見ることが出来る機会かも知れません。
個人に於いても同じだと思います。「自分のやりたいことは何なのか」「心からやりたいことは何なのか」それが自分の本質のようにも思っていましたが、そこにも深さというか高さがあるような気がしてきました。
自分だけがやりたい事、自分の世界だけでやりたい事ならば、自己実現であり、もしかしたらそれは自己満足の域を出ないものではないかと思い始めました。自分のやりたい事の奥には自分のみならず、世の中と繋がっています。よって、自分のやりたいことが世の中の人々にも役に立つことであるから、それによって自分の存在意味があるのではないかと思うようになりました。
自分のやりたいことが自分だけに返ってくるのではなく世の中に返ってくるからこそ、そこから自分に返ってくるというような感じです。そうなると単なる自己実現ではなく、世の中に微力でも影響を与える意図も含まれるような気がします。それが自分なりの本当にやりたかった事であり、「志」というものかも知れません。
それは富士山の頂上を目指すという「志」というもので、登るルートは自分の能力が発揮できるルートから登ればよいのであって、決まってはいないと思います。この能力を発揮する可能性を見つけた時、それが自分の本質のような気がしてきました。
自分の人生の目的がただ単に自分のやりたい事をする自己満足から、自分以外の人に貢献するという意識に変わって行くのです。自分個人の世界で生きていると、他人と比べて「勝ち負け」で判断してしまいます。或いは「依存するか自立するか」の発想になってしまいます。しかし、自分だけの世界を越えた社会全体から見ると、自立した人同士の「相互依存」の関係になり、そこから「相乗効果」が生まれてくるのだと思います。その段階にまで成長するのが、人としての本質であり、自分の本質なのかなと思います。
じゃ、また明日!