当たり前のように使われている「ルーチン」という言葉。日本語では「日常の仕事」とか「日課」と言われています。歯を磨いたり食事の用意をしたりなどは日常生活の中で当たり前の習慣のようになっています。それとは別に、やりたい事でやらなければならない事は、そのルーチンの中に入れておく必要があります。
なぜなら、ルーチンの中に入れておかないと、絶対になすべきことであったとしても、時には抜けてしまうからです。すると自分の描いているゴールには程遠くなってしまうからです。よって「できたらいいわ」レベルではなく、絶対に為さないと成功には結びつかないのです。
今、自分のルーチンを振り返ってみると、ルーチンとは言えないような気がしてきました。それでも、ルーチン票を作る前までは、何も考えずに毎日を過ごしていたように思います。しかし、これをしたい、あれをしたいと思うようになってからは、24時間の中にそれをする時間を作り、守るようにしていました。
それをずーっと続けていれば、いつの間にか習慣化され日常の中に溶け込んでいきます。しかしそれが定着しだすと、作業的になってしまい、最初の目的を忘れそうになる時があります。そして、少しぐらい忘れても特別困るわけではないし・・・。と思ってそれでも続けている場合があります。
ここで思い出さなければならないのは、「何のためにやっているのか」ということです。それをする意味、目的です。絶対にやらなければ、自分のゴールから遠ざかると思えば、絶対にやる必要があるのです。反対にそれでも自分が困らなければ、やる必要のないものかも知れません。そうであるならば、辞めた方がよいかも知れません。義務的にやっても、作業的にやっても、自分の身には付かないからです。
それだったら、もっと自分がやりたい事、ゴールに向かっていくことをやればよいと思います。これは自分自身にも当てはまることですが、ルーチンの立て方に問題があるような気がしてきました。私のは24時間を何に使うのか、時間で区切っているだけです。そして、その時間に書いてあることが出来れば満足していたようなものです。
しかし、本当のルーチンは自分の目的に結びついて行くものだと思います。よって、出来なかったとか、やらなかったという事は本来あり得ない事なのですが、それがあると言う事は、極端に言えば辞めても良いものかも知れません。そのあたりを、考えていなかったなと、今日のある人のメルマガで気が付いたので、もう一度自分のルーチンを洗い直してみようと思います。
そのためには、自分のゴールは何処なのか、何の為にそれをするのかを明確にする必要があると思います。ルーチンは未来のゴールのしあわせのためにするものだと捉えれば、辞めた方がいいもの、必ずやるもの、と、もっとはっきりと浮かび上がってくると思います。
ルーチンは日常の仕事、日課と定義されますが、日常の積み重ねがとんでもない処へとつながるので、ないがしろにしないで、もっと真剣に創る必要があると、今更ながら気付きました。
じゃ、また明日!