人を動かすのはかなり難しいです。いくら自分が正しいとわかっていても、相手がそれに共感してくれなければ、こちらの思っているようには動いてくれません。先人たちがよく言われていた「感じろ」というのは大切なことだと思います。なぜなら、何をするにもまず「感じる」から、それに感動して「行動に繋がっていく」のです。
現在も行っている「100万人の署名活動」。これも「イジメや虐待に対して苦しむ子どもたちの未来を救いたい」という感情から発して、北海道や福岡で毎週署名活動を続けて下さっている方々がおられます。子供たちを救いたいという想いが、雪の中でも炎天下でも署名活動をするという行動に繋がっているのだと思います。
私も含めてほとんどの人は、学校や教育委員会の「いじめはなかった」という対応に理不尽さを感じていると思います。しかし、想いはあるけれど、自分が署名活動を起こす行動にまで自分の感情が揺さぶられていないのかもしれません。
人は自分の心の奥底から突き上げてくる感情が沸かなければ、なかなか行動に繋がりにくいのです。ましてや人に動いてもらおうと思えば、その価値に共感してもらわなければ、カラダも動かないと思います。「これをやればこうなる」という最後のシーンを共有できれば、自分の中でも消化することができ、行動に移せるのだと思います。
やはりその為には相手の感情を知るということが大切になってくると思います。私も以前は反論されたら「なぜいつも反論するの?」と、こちらも感情的になっていました。しかし、瞑想をやり始めてからは落ち着いて考えることができるようになりました。なぜ相手が反論してくるのかを考えた時、その裏には嫉妬や妬みがある場合があります。よって、その嫉妬や妬みを理解した上で、こちらのことも理解してもらう必要があると思います。
そして、相手の立場で相手の感情に訴えかけて、こちらの言うことを理解してもらうことが必要だと思います。こちらがいくら言葉で説明しても、相手を動かすことはできません。相手の頭を説得するよりも、相手の感情を説得するほうが伝わりやすいし、伝われば行動に繋がります。
思考と感情の反映が行動になると思うので、相手の中の感情を引き出して、相手から共感してもらうというのが大切なことだと思います。「共に感じる」ことができれば、頭の中で描くものも同じになるので、こちらが描いていた通りに行動してくれると思います。
逆に言えば、こちらの思うように動いてくれないときは、共感できていない時で、相手が反論したり言い訳したりしてくると思います。人は心が動かなければカラダを動かそうとはしません。よって、理詰めではなく、価値の共感ができる所まで持ってい行くことが大切だと思います。相手の心を動かせるかどうかが行動に繋がると思います。
「感情」が「行動」への「お知らせ」と、言われる方もおられますが、本当に理屈や言葉だけでは人は動きません。自分の感情が揺さぶられ、自分の気持ちが高ぶった時に初めて行動に繋がるのだと思います。
大学卒の人よりも中卒の社長のほうが魅力あるのは、きっと現場で感情の交渉をしてきたからだと思います。知識と理屈で机上の空論ばかり言っている人は誰も動かせないと思います。
どうせなら、人を動かすことのできる人間になりたいものです。
じゃ、また明日!