人生100年時代と言われています。ついこの間までは70歳~80歳くらいまでを想定して、退職後は第二の人生と言われていました。そして、長年働いてきたので、これからはゆっくりと旅行でもして趣味を楽しむ老後にしたい、と。
しかし、人生100年時代になった今、それではまだまだ人生が余っています。昔に比べれば元氣で隠居生活をするには早すぎます。私も退職後、好きな事をして第二の人生を楽しんできました。しかし、この先を考えると今度は人生の持ち時間が無くなるまでの期間をどういう”生き方=死に方”をしたいかという意識に変わって来ました。
確かに第二の人生はお給料を貰って時間に縛られる生活からは離れ、24時間なんの束縛もなく自由に過ごしてきました。でも最近、何か忘れ物をしたような気がしてきたのです。これで良いのかな?何事もなく安定したこの生活で最期まで過ごして良いのかな?自分はそれを一番望んでいる自分の人生なのかな?と。そう思うと、そうでは無いような気がしてきました。もしかしたら、これからが今まで自分のやってきたことの集大成に入って行くのではないかと。
一般社会では「今更なにを」という事かも知れません。或いは「今更そんな冒険をして、もしも失敗したら年齢が年齢だけにどうするの」というのがほとんどだと思います。安心・安全な人生を想えば、確かに言われる通りです。しかし、自分が望む人生と他人が望む人生とは違います。よって、退職以降自由に第二の青春を過ごしたからこそ、今度は自分を社会に活かせないかと思うのです。
それは自分だけの世界ではなく、自分が社会というものにもう一度かかわることで、自分の集大成が出来るような気がするのです。今まで色々な方から学んだこと、身に付けた事、それらが誰かの役に立つのなら、自分の存在意義があるような気がします。これが自分の人生に対する価値観であれば、それを思いきり第三の人生で発揮することが、「自分を生きる」と云う事になるのだと思います。
自分を生きると云う事は、自分が一番納得のいく人生を選択する事だと思います。人からどのようにアドバイスを受けても、たとえそれが私を心配して下さっているアドバイスであったとしても、安心・安全な第三の人生と、自分が何らかの形で直接的であれ間接的であれ、人さまの役に立つ第三の人生になるのであれば、それが自分の生き甲斐になって来ると思います。
自分に対して嘘や偽りがあれば、100%充実したものにはならないと思います。最期の自分の持ち時間位は、自分に正直に生きるのが悔いのない人生だと思います。「いま ここ の 自分」そこにしか自分はいないのです。そう思ったならば、人から見てどうのこうのよりも、自分の心が一番喜ぶ事が「自分を生きる」事だと思います。
誰に気兼ねすることなく、誰の目を気にすることなく、自分の望む人生を送ることが、自分にとって一番しあわせな人生になるのだと思います。
納得のいく第三の人生を、これから楽しみたいと思います。
じゃ、また明日!