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「人は何の為に生きるのか」と言うのは、若い時によく質問されました。

しかし、自分の人生80年と思っていたので、40歳を過ぎる頃には、

自分の生き方よりも人生後半の死に方に重きを置いていました。

今、考えると、私自身は生きても死んでもいなかったのです。

ただ、自分の持ち時間を食いつぶしていただけだったのです。

生きるという事は、生まれた瞬間に与えられている自分の持ち時間を、

1秒1秒取り崩していくことになります。

誕生という出発から人生の終焉迄の持ち時間をどのように過ごすかが、

自分がこの世に生きている証なのだと思います。

ご飯を食べて寝るという日常生活の繰り返しが自分の人生だと思っていましたが、

果たしてそれが自分の人生なのかと思うようになりました。

日常生活以外の事で、自分は何がやりたいのか、何をやろうとしているのか。

それが実現できてこそ、「自分は何の為に生きるのか」と言うのを

自分に応えることが出来るのだと思います。

学生の頃は漠然とした夢を持ちます。

しかし、社会に出ると現実を目の当たりにして、夢はしぼんでいきます。

けれども、そこでもう一度自分の未来図を描いた時には、

現実味のある具体的なVisionとなって、自分に戻ってきます。

自分の持ち時間をどのように過ごすかという、自分がこの世に生きている証を。

人生には限りがあります。

自分の持ち時間には限りがあるし、こうしているうちにも1秒1秒

消えてしまっています。

自分の人生の中身を振り返った時、

「何のためなら死ねるのか」はたまた「何の為に生きるのか」

自分の人生は自分しか演出することが出来ません。

「生」の時間が少なくなれば、演出できる時間も少なくなります。

自分は「何のためなら生きることが出来」て

自分は「何のためなら死ぬことが出来る」のか。

生きているうちに課題解決をしなくては、

自分の人生に応えを出すことが出来ないと、改めて気付いた日でした。

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